2020年7月19日付で「よわねこの歩き方」と改名し、
「今を伝える」オンラインギャラリー「よわねこギャラリー」内から、”不定期”で発信しております。
<バックナンバー>
ことばと糸でつむぐ歌 2020年7月7日号
(はてなブログより)
九州を襲った豪雨のニュースを呆然と眺めながら、コロナ禍の不安が、いっとき、頭から離れてしまいました。川の氾濫や避難所の様子に既視感を覚えるほど、日本では、ここ数年、水害が絶えません。亡くなられた方、被害に遭われた方、我が身に置き換えると、言葉を失います。
昨秋、自作の詩に、ささやかな絵を添えたポストカード展を計画していました。延期を重ね、今年7月の開催としたおかげで、刺書家(刺繍+書道)の佐藤日奈子さんと出会い、コラボ展へと姿を変え、7月6日に初日を迎えました。タイトルは「ことばと糸でつむぐ歌」。
会場は、東京・要町(豊島区)にある古民家カフェの「藤香想」。2階の和室が発表の場です。2015年の9月。雨傘をさしながら、いつものごとくの猫道散歩で、偶然見つけ、ひょんな流れでお店のテーマソングを作詞させていただき、以来、朗読イベントやLIVEでお世話になっている、とても大切な場です。
自作の詩に感銘していただいた、佐藤日奈子さん。僕が自筆した詩を糸で縫い、世界で一つの「詩繍」に仕上げてくれました。日奈子さんのインスピレーションで選び、コーディネートした、布と、糸と、額。当初のポストカード展から大変身! すっかり、アート展の装いとなりました。なんとも優しく、やわらかな言霊が、額のなかで、歌い、踊っています。思いもよらぬ結実に、感謝するばかりです。
人生は不思議です。考えもしなかったシナリオで、展開していきます。幸いはもちろん、災いも。予期せぬタイミングで訪れます。その出来事に直面したとき、当事者として、どう受け止め、納得したらよいのか。僕は、涙色のニュースに接するたびに、その方便を考え続けていました。答えには、まだまだ遠いけれど、手にした「言葉」をお届けします。
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どうして私が。
涙で問うと。
選ばれたのだと。聞こえた気がした。
どうすればいいの。
無言で叫ぶと。
声をあげるのだと。届いた気がした。
誰かに伝えるために。
誰かを救うために。
選ばれたのだと。
どうして私が。
天を仰ぐと青空を雲が泳いでおりました。
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どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////
<NEWSあれこれ>
その1:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日~13日
その2:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪
その3:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪
ふんばれ。こころ。
あなたのご無事を祈って、精進致します。
「おとぎ話」を書くように。 2020年6月26日号
(はてなブログより)
あなたのなかの “アナタ” は、お元気ですか。巷に溢れる魑魅魍魎のエネルギーに、惑わされて、振り回されて、こころの空模様まで、怪しくなっていませんか。かくいう僕こそ、実は、そんな感じです。勇気と不安が、くるくるくるくる、出番を変えています。
ウィズコロナ時代の社会論は、専門家に任せることにして、さて、自分の発信箱には、どんな言葉が準備できているだろうかと、こころの内を覗いては、見つけた言葉を吟味し、首を振っては戻し、しばらくしてから、また覗く。その繰り返しの毎日でした。おかげで、またまた、1回飛ばしに足すことの2日なり・・・と相成った次第です。ごめんなさい。
新型コロナウイルスを語るときの難しさは、ひとの数だけ、被害の状況や、それに伴って生じている問題が異なる、という点です。発信する言葉に窮した言い訳です。これから直面するであろう不況以上に、僕は、こころの荒廃を恐れます。
感染症対策という名のもとに、監視社会の足音が、大きくなっている気がしてなりません。「のんき」なんていう言葉や、「いいかげん」「ちゃらんぽらん」なんていう言葉遣いまで自粛させるような空気が、蔓延しないよう祈るばかりです。
そんな不安がよぎるから。僕は、「おとぎ話」を生きたい、と改めて思うのです。僕にとっての「おとぎ話」とは、根っからの悪役は決して出てこない物語のこと。主役は僕です。僕の人生の物語ですから。登場人物たちは、この世でお付き合いする方たち。キャスティングは、随時、見直し、入れ替える。
「笑う門には福来る」「渡る世間に鬼は無い」この国に伝わる、そんな言葉を具現化した「おとぎ話」にしたいな。誰に会うか。誰と過ごすか。何を残し。何を捨てるか。脚本・主演は僕だから、それらを選択できるわけです。「世界の有様」を僕の思いだけで変えることは叶わないけれど、「僕の世界」なら、変えることができるはず。
世間は冷たい、自分勝手過ぎる、と思うなら、人情に満ち、利他で行動する登場人物たちに、キャスティングし直せばいい。その試行錯誤を経ることで、時代がどれほど変容しようと、自分にとっての理想のコミュニティー(いのちへの尊厳と寛容さに満ちた関係)を手に入れることができるはずだと、僕は信じます。今さら、登場人物を変えられないって? それなら、あなたが変わればいい。主人公が、気づきという名の変貌を遂げて、周囲を照らすひとになる、それこそ素敵な「おとぎ話」ではありませんか。
理想の「おとぎ話」を書くように、「あなたの世界」を創りませんか。
どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////
<NEWSあれこれ/深呼吸の週末を~0626号>
その1:さだまさしさんのコンサートツアープログラム Vol.75発売開始!製作を担当した、さださんのツアープログラム(52ページ)が、公式オンラインショップで発売開始されました。
その2:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日・8日~13日
その3:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪
その4:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪
ふんばれ。こころ。
あなたのご無事を今日も祈って、精進致します。
「自由」と「覚悟」を携えて。 2020年5月29日号
(はてなブログより)
前回から、1回飛ばし&2日遅れの更新となりました。しばし沈黙しておりました。「今、心から発信したい言葉とは?」自問していました。『星の王子さま』に登場するキツネは言っています、「言葉なんて、誤解のもとだからね(※)」と。この身に抱えた気持ちを誤解なく言葉で伝えるのは、やはり、なかなかにやっかいなものです。(※)サン=テグジュペリ 作/三田誠広 訳(講談社 青い鳥文庫)
東日本大震災に遭った2011年3月11日。僕は、その数日後に、一篇の詩をSNSで発信しました。わが身への碑文として。タイトルは『0311』。あまたの命を失って/あまたの気づきが起こるだろうか/あまたの涙を前にして/あまたの戦が終わるだろうか/三万人が自死する国の/生の重みは変わるだろうか/わずかなコインを捧げて祈り/僕は心に問うのです/すべての答えはわが身にあると
2011年3月、僕は、これから生きていく上で身に付けるべくは、「リラクゼーション」と「サバイバル」だと心に刻みました。2020年5月、僕は、その思いを書き換えました。「自由」と「覚悟」へ。「自由」とは、「身勝手」とは異なります。広辞苑(岩波書店)によれば、「責任をもって何かをすることに障害がないこと」「無条件的な絶対の自由は人間にはない」とあります。「自由」とは、「自立した精神」と、「持続可能な環境を愛する生き方」だと、僕は感じ取りました。
人類は、大きな転換点を迎えています。人と人がふれあうことが死に至るという恐怖は、ビジネスはおろか、「コミュニケーションのあり方」を変えてしまいました。つまり、「愛の形」を変えてしまったのです。けれど、私たちは、「自由」を失ったわけではありません。人間中心の、「エゴという名の自由」が制限されたに過ぎないのではないか、と僕は考えます。今こそ、「責任を伴った自立した精神」へのステップアップの機会なのだと。
どこかに出向くとき、誰かとふれあうとき、未知の体験に身を委ねるとき、私たちは、「覚悟」を迫られるでしょう。けれど、それが自然というものです。絶対的に保証された安全など、本来、ないのですから。何が起こるか分からない、それゆえに、自ら選択し、納得し、覚悟を決めて、進む。人生とは、生きるとは、本来、その連続ではないでしょうか。
かくいう僕自身も、不安を抱えながら、恐る恐る生きる身です。人類が直面した未曾有の困難に、その一人として立ち会いながら、明日を模索し、心細くも小さな一歩を重ねています。どんな道をたどるのか、分かりません。この先、何が起こるのか、分かりません。確かなことは、まだ、生きている、生かされているということだけです。その事実を杖に、一瞬一瞬、確かめるように呼吸をして、「自由」と「覚悟」を携えて、歩き続けます。
どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////
<NEWSあれこれ/アナタのココロに青空を~>
その1:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日~13日
その2:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪
その3:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪
ふんばれ。こころ。
あなたのご無事を祈って、精進致します。
新しい「私」を見つける。 2020年4月30日号
(はてなブログより)
「不安」と「希望」は同じもの?
あるとき、日向(白)と日陰(黒)は、光次第なのだと気づきました。光が射せば日向となり、遠のけば日陰になる。以来、二元論で語られるものの多くは、対立する存在ではなく、視点(捉え方)を変えただけなのだと考えるようになりました。善と悪、愛と憎しみ、幸福と不幸、勝者と敗者。成功と失敗。不安と希望も、また然り。
先が見えないという状態においては、「不安」も「希望」も同じです。気持ちが強ければ(光を得れば)、「希望」を感じ、気弱なときには(闇を抱えれば)、「不安」に襲われる。さて。今の「私」は、どうでしょう。顔を伏せて不安を募らせるばかりで、運命が与えた変化(生き直し)への希望を見逃しているかもしれない。
「未来」づくりという名の「利他」
以前、「私はアナタでできている」というタイトルの詩をつくりました。日本には、「お陰様」というすばらしい言葉があります。自分の力ではなく、人様の力添えを得て、生きている。私たちは、今まさに、「生かされている」という事実を目の当たりにしています。直面した困難から学び、覚えた気づきで自らを改善し、明日に生かすこと。明日を創造することこそが、「今」に生きる者の使命ではないでしょうか。あきらめずに、明日という「未来」を想像し、その道を拓く(創造する)姿勢は、立派な「利他」です。
我欲を見直す。物欲を見直す。人間関係を見直す。暮らし方を見直す。仕事を見直す。生き方を見直す。住む土地を見直す。生活習慣を見直す。価値観を見直す。エトセトラ、エトセトラ。自分なりの見直しの先に、見失っていた「私」との再会があるかもしれません。「私」と和解し、新しい「私」を手に入れる。その集積は、やがて、経済至上主義を見直し、地球環境の保全を加速させ、ひいては、欲望に駆られた資本主義に、「分配」の理性を呼び戻すと信じたい。
分断と不寛容に陥らず、連帯と寛大さを。わが身にも誓いながら、社会の気づきと進化を祈るばかりです。
どうかご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////
<NEWSあれこれ>
オフィシャルサイト内「こころのさんぽ」/新設しました
ふんばれ。こころ。
あなたの無事を祈って、本日も精進致します。
ふんばれ。こころ。 2020年4月17日号
(はてなブログより)
「STAY HOME SAVE LIVES」家を出ないで、命を救う。
世界が直面している、この困難の中で、あなたは、どんな思いを抱えて、過ごしていますか。自粛という名のもとに、行動の自由を奪われた一方、思わぬタイミングで、与えられたものもあると思うのですが、いかがでしょう。
「自分と向き合う」
時間に追われる日常から、否応なく遮断された瞬間に手にした、自問の機会。「今、何をしたいか」「今、誰に会いたいか」「今、何に支えられているか」。「今」を意識することで、おぼろげだったいくつもの「何」が、はっきりと見えてくるとしたら。この事態は、生き方を問い直す機会なのかもしれない、と思えるのです。
「覚悟する」
フリーランスで活動している僕にとって、直面している事態は、これまで経験したことのない不安に満ちた、恐怖です。けれど、その一方で、前述のような、目覚め(決断)の機会を与えられたのかもしれないと感じます。「ためらわない」。僕が得たメッセージです。
「選択の自由」
どのような状況にあろうと、選択の自由はこの手にあります。この世に生を受けたのだから。(受精~誕生~)奇跡の命を与えられたのだから。生き延びようではありませんか。人に頼って。苦難を叫んで。寂しきは寄り添って。心細さは励まし合って。生き延びようではありませんか。どうか、あきらめないで。発信し合いましょう! お互いの選択を、お互いのふんばりを、お互いの涙を。ではまた。次回に (^^♪///////
<NEWSあれこれ>
「よわねこアルバム」/インスタグラム 本格スタート!
ふんばれ。こころ。 (^^♪/////
あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。
未来の自分に伝えたいことは? 2020年4月1日号
(はてなブログより)
来年の自分に? 3年後の自分に? 5年後の、10年後の自分に? 今の自分から言葉を伝えるとしたら、あなたは、どんな言葉を伝えますか。
3年前。5年前。10年前の自分を思い返すと、今が不思議です。うれしい出来事。つらい事柄。人には話せない眠れぬ夜。さまざまを乗り越えて、こうして、僕は生きている。祖父母たちが。叔父叔母たちが。従兄弟が。父が。友たちが。逝ってしまったけれど、僕は生きている。
10年後の自分に僕は伝えたいのです。「名も無く、余裕もなく、恐る恐るの毎日を過ごしているけれど、思い通りにいかないことが多いけれど。大切な人がいます。大好きな場所があります。自分自身を励ますように、言葉を紡いでいます。だから、しあわせです。この先に、何が待ち受けているのか、わからないけれど、このまま進みます。宇宙を翔け巡るように」
「今を生きる」とは、たとえば、この日常を愛し、行き違った思いと和解し、覚悟を手に歩くこと。たとえば、ポジもネガもないのだと思い知ること。すべての出来事はサインであり、導きであると気づくこと。たとえば、孤独さえも受け入れて進むこと。
ではまた。次回(^^♪///////
<NEWSあれこれ>
それでも、陽は昇る (^^♪/////
「ほぼ隔週刊詩」発信中。
あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。
居場所を探して。 2020年3月23日号
(はてなブログより)
この世界で確かなものがあるとしたら。それは「すべては変わる」ということ。人のこころも。体も。街の景色も。深山も大海も。同じように見えていても、目を凝らすと、変化し続けている。その軌跡は、先へ先へと伸びる。
この惑星も。太陽系も。猛スピードで、移動し続けている。静かに空を見上げる朝も、机上で仕事に向かう午後も、この身は、移ろいのなかにいる。「現在」から「未来」へ、見えない力に導かれるように、前へ前へと進む。
この世に生を受けた意味があるとしたら。その一つは「居場所」を見つけること。あらゆるものを消費しながら、手放すことを覚え、孤独を乗り越え、「魂の丘」を見つけること。肌身離さず「覚悟」を抱え、気まぐれな「勇気」を奮い立たせて。記憶された物語を読み進む。
「さよなら」に負けず、「こんにちは」に怯えず、目の前で起こることを受け入れながら、受け流して、次のページをめくるように、「その道」を探す。こころがすっかり安らいで。強がりも励ましもいらなくて。流れる涙をゆっくり乾かしてくれる。そんな「居場所」、「魂の丘」へ続く道。きっと、見つかりますように。
ではまた。次回(^^♪///////
光を持ち寄る、穏やかなひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。
ピース或いはよわねこ喜譚 2020年3月12日号
(はてなブログより)
なんのこっちゃのタイトルですが、コトバ相手の戯れと、眉間のシワを緩めつつ、耳かきなんぞしたりして、「このご時世じゃ、遊び一つも難儀する。どれ、暇つぶしに、こやつの物言いでも眺めてみるか」ってなご心境で、「寛大」を手に、お読みいただけましたなら、うれしい限りでございます。
ほぼ隔週刊なんて甘えておきながら、すっかり「週回」遅れとなり、あてにならぬ身で、恐縮至極の次第です。来る東京オリンピックの影響で、ここ数年お手伝いしている、さだまさしさんのコンサートツアーが、例年より、ひと月早くスタートすることとなり、やることなすこと時間がかかるこの身ゆえ、すっかりどっぷり、しっかりと、仕事に精を出していた次第。恥ずかしながら、まだまだ渦中でございます。
しょーもない言い訳はさておいて。件のタイトル。ピースは「しあわせ」ではなくて、「断片」あるいは「欠片」の意。吹けば飛ぶようなこの身に起こった、ささやかな喜びのご報告、とまあ、そんな了見でございます。すっかりどっぷり、しっかりと、向き合っていたその折に、処は上野、東京藝術大学で、澤学長にインタビューする機会がございました。トーキョーゲーダイとは、我が身には、憧れ以前の存在です。役割を果たすべく、冷や汗たらりと流しつつ、ご無礼をしてきた次第。実はこの折、うかがったお話の内容は違えど、日頃この身を満たしている、「草木国土悉皆成仏」にも通じるメッセージを、手前勝手に感じたのでございます。
処も日付も変わりまして。今度は、さだまさしさんにお話を聞きながら、ここでもまた、お話の内容は違えど、日頃この身を支えている、「無条件の自己肯定」なる考察にも通じる問い掛けを、手前勝手に感じた次第。我が身から見上げれば、遥かな高みでご活躍の方々のお話ですが、身に受けた風は、地道に歩く我が身の歩幅に、「手にした地図はそれぞれ違う。そのまま行けば良いではないか」と教えをいただいた思いなのでございます。もっと具体的に言わんかい、という、御仁。然り。エピソードの詳細は、拝顔した折にぜひ。
何はともあれ、お伝えしたいのは、この身に起こる「シンクロ二シティ」あるいは「コンステレーション」を感じることこそ、進路を示す、人生の標識ではあるまいか、という私見でございます。それらは決して、特別なものではなく、誰にでも起きているに違いない、そう感じるのでございます。肝心なのは、アンテナの感度だけ。
生きるには、覚悟が欠かせないことを、改めて思い知る今日この頃。見えない力を感知する、こころの感度をアップして、明日も元気にまいりましょう。 1週遅れとなりました、徒然なるままの戯れの拙文。ご無礼、お許しのほどを。
ではまた、次回(^^♪///////
<NEWSあれこれ>
07月6日~13日 :刺書家の佐藤日奈子さんとコラボ展、開催(^^♪
04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!担当したツアープログラム、ただいま製作中です(^^♪
こころを解す、縁側気分のひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとの出会いを楽しみに、本日も精進致します。
私は「あなた」でできている。 2020年2月20日号
(はてなブログより)
何事も思い通りにならぬ不満と、明日をも知れぬ命への不安が、人を苦しめるのだと知り、なるほど、数多ある憂いのアレコレは、その二つに帰結するのだと合点し、なんだか心の荷が軽くなった気がした。
とはいえ、目の前に、生々しくも恨めしい日々の生活が横たわっていることに変わりはない。朝の商店街を駆け抜ける車輪の音に急かされて、駅へと走り、昼はせっせと、空腹に季節を忘れた食材を流し込み、不思議絵の階段を昇るごとくの労働に身をやつし、日暮れに追い立てられながら、密着列車で送還され、一日を終える。その繰り返し。
口をつくのは溜息ばかり。なんとも情けないありさまよ。ぼやきの吐息を見送って、ふと見上げれば夜の月。天上に貼り付くように笑っている。それも一生、これも一生。すべては仮初、この世は夢と思うなら、今日の憂いも笑い飛ばせるではないか。などと、誰とも知れぬ言い分が、静まり返った商店街をヒラリヒラリと泳いでいく。
啓示というには不確かで、悟りというには頼りない、道端の小石のようなささやきが、萎えた足取りを軽くした。然り。今が限りとするならば、袖すり合うはすべてがご縁。ミトコンドリア・イブのご登場を願うまでもなく、この世は縁の数珠つなぎ。誰彼含めて縁者であった。
比べて強がりへまをして、あの道選んで躓いて、途方に暮れて助けられ、思わぬところで杖を得て、前後不覚でフラフラと、目にした扉を必死で叩き、開いた部屋に倒れこみ、気を取り直して立ち上がり、さしたる気概もないままに、一歩一歩と積み重ね、今日を迎えていたのであった。
軌跡は奇跡の連続で、タイトロープの道のりだった。今が限りと想像すれば、ありがとうを忘れ去り、あたりまえに首まで浸かり、ふんぞり返った古漬が、この身と気づいた次第であった。風呂上がり、足先の指を見つめて思う。グー、チョキ、パーすら曖昧で、思い通りに動かせぬ。ましてや胃袋、肝臓に、腎臓、膵臓、心の臓、意思が通せるわけがない。
自分の体というけれど、授かりものの器のようだ。すると一体、「私」とは、この体のどこに居て、その実、何者なのであろう。思い返せば、感情や、扱いなれた言葉すら、握ったはずの手網を離れ、制御不能になることがある。そこに居るのが、隠されていた「私」であるか、見ず知らずの「ワタシ」であるか、未だ私には分からない。されど、この体が、授かりものの器なら、この「私」とて、私のものではないのであろう。
なんだか、煙に巻かれたようで、すべてがばかばかしくなった。いつか目にした清流をプカプカ浮いて流れゆく、ふやけた小枝が目に浮かぶ。そうだ。この身はきっと、小枝なのだ。自覚も意思もあるけれど、流れに抗うわけにはいかず、流れ流され、そのままに、日照りに乾き、雨に濡れ、時には小鳥の止まり木に。そして、いつしか朽ち果てて、遂には炭素に姿を変えて、天に還っていくのであろう。
私とは、私以外のものだった。私とは、私以外の命がつくる、小枝のごとき像だった。されば、まだ見ぬ、あなたのおかげもここにある。私はあなたでできているのだ。
ではではまた次回(^^♪/////////
こころの開放時間、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとのご縁を楽しみに、今日も精進致します。
世界は「サイン」に満ちている。 2020年2月6日号
(はてなブログより)
「もしも・・・」の話です。もしも、風にコトバがあったなら、今日、あなたが受けた風は、あなたにどんなコトバをかけていたと思いますか。もしも、鳥のコトバが聞こえたら、並木道で耳にしたさえずりは、何を話していたと思いますか。もしも、水にコトバがあったなら、花にコトバがあったなら、夜空の月にコトバがあったなら、あなたはそこに、どんなコトバを想像するでしょう。
「この世界は音に満ちている」空海は、そう語ったと聞きました。僕は、その「音」を「サイン」と読み替えてみました。この身を取り巻く世界は、「サイン」に満ちていると、仮定してみたのです。ユーミン(荒井由実)が「目にうつる全てのことはメッセージ」(「やさしさに包まれたなら」の一節)と歌ったみたいに。
世界に生きる77億人(2019年時点:国連発表)のなかで、同じ人間はいません。「僕」という存在、「あなた」という存在は、唯一無二です。過去も、未来も。クローン人間が誕生しない限り、いえ、たとえ、クローン人間が誕生したとしても、「こころ」はコピーできないでしょう。なぜなら、「こころ」は形のないものだから。そう考えると、一人ひとりの存在は、やはり奇跡であると、思わざるを得ません。
僕もあなたも、奇跡の存在です。そんな思いで、空を見上げると、ほら、聞こえてきませんか。「だいじょうぶさ」って。 ではまた、次回(^^♪///////
<NEWSあれこれ>
02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演
04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラムの製作を拝命致しました。
こころ解す、日向ぼっこなひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとのご縁を楽しみに、今日も精進致します。
あなたは「ジブン」を信じていますか。2020年1月22日号
(はてなブログより)
「幸せですか」という問いに、あなたはどう答えるでしょう。こころの変換キーを1度押すと、その問いは、「あなたは“ジブン”を信じていますか」に姿を変えます。迷うことなく、「はい! 信じています」と答えられる人は、どれほどいるでしょう。かくいう僕は、YESながらも、その声は、おそるおそるの小声です。あなたはいかがですか。
こころの有り様を想像するとき、ジグソーパズルが思い浮かびます。「世界でひとつの幸せのパズル」です。形も、ピースの組み合わせも、オリジナル。しかも、完成の絵は定まっていません。日々、変化するのです。ピースの形も、また、しかり。体験や気づきによって、大きさまで変わります。はめ込みが、遅々として進まないときもあれば、一気に進むときもある。完成が近づいたと思ったら、隠れていた部分が見えてきて、把握していた大きさが違うことに愕然とする、なんてこともたびたび起きる。
そんなパズルですから、思い通りには進みません。ほかの人に手伝ってもらうこともできないし、ほかの人のやり方を真似るわけにもいかない。なにせ、変幻自在の特注品、僕だけの完全オリジナルなのですから。完成に必要なのは、自分を信じること。
自分を信じるとは、「無条件の自己肯定」にほかなりません。ありのままの自分をまるごと受け入れる。簡単そうで難しい。けれど、自分を信じること(無条件の自己肯定)ができれば、同じように、自分を信じている「他者を受け入れること」(無条件の他者肯定)もできるはず。すると、毎日は、ずっと生きやすくなると思うのです。幸せのジグソーパズルも、するすると、はめ込みが進みます。まずは何より、「ジブン」を信じてあげられるよう、今日も「あなた」を大切に。ではまた、次回(^^♪///////
<NEWSあれこれ>
01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店
02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演
04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラムの製作を拝命致しました。
※3月に開催を予定しておりました「手のひらメッセージ・ポエム展」は、製作時間の見直しにより延期致しました。夏開催をめざし、準備致します。
こころ遊ばす、自在なひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとの出会いを楽しみに、今日も精進致します。
「ゆっくり」ただそれだけで。 2020年1月8日号
(はてなブログより)
技術革新による時短で得た「ゆとり」は、どこに消えてしまったのでしょう。効率化、合理化、あるいは省力化。それらの恩恵で手にしたはずの「時間」は、何に化けてしまったのでしょう。身体をつくる食事の時間すら、後回しになるほど忙しく働きながら、何を手に入れようとしているのでしょう。
僕は、それらの答えを探すうちに、「何のために生きるのか」という大問題にぶつかってしまいました。何を恐れ、何を嫌悪し、何に傷つき、何に憧れ、何を喜び、何を目指しているのか。一つひとつ、自分なりの答えを整理しながら、「人は、何かと関わるために生きているのだ(生かされているのだ)」という結論にたどり着きました。
有機物、無機物を問わず、「何と」「如何に」関わるか。その記憶こそが、生きる行為なのだと感じたのです。僕にとって、「時間」は、かけがえのないものとなりました。時間を味わう姿勢こそ、生の源泉だと気づいたからです。「ゆっくり」「ていねいに」生きる。「ゆっくり」「ていねいに」関わる。
シンギュラリティーが声高に論じられる現代にあって、「ゆっくり」「ていねいに」生活することは、容易ではありません。覚悟が必要です。引き換えに失うものが少なくないからです。けれど、そこから僕は、実に多くのものを学びました。「ゆっくり」した生活は、この世の豊かな音を感じ取る、発見に満ちた、刺激的なものでした。その続きは、また改めて。(^^♪//////////
<NEWSあれこれ>
01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店
02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演
03月02日(月)~09日(月):要町にて「手のひらポエム展」開催
こころを開く「縁側時間」、ゆっくり、ご一緒しませんか (^^♪/////
あなたとの出会いを楽しみに、今日も精進致します。
「共感」よりも「共有」を。 2019年12月25日号
(はてなブログより)
喜びと不安のやじろべえ的毎日を過ごす僕ですが、それでも、ようやく、牛歩の歩ながら、物事が分かりはじめている気がします。たとえば、今回のタイトル。ただ今のところ、これが素直な僕の実感です。「共感」は、やはり、容易くはできません。世の「正論」や、「多数意見」ほど、危ういものはないし、「誰かの気づき」に感動したときですら、その考えも、微妙に私見とは違っていることが、しばしばあります。
そんなとき、以前は、がっかりしていました。同志が見つからない現実を前に、孤独を深めていました。けれど、今は違います。その人の姿勢や考えを素直に受け入れる自分がいます。主張や手法、思考や行動に違いがあろうとも、同じ方角に歩を進めている人と、出会い、時間を共有できることに、喜びと感謝を覚えるからです。
志を手にしている人ほど、「共感」を追い求め、思い通りにいかぬ反応に、気落ちしがちなのかもしれません。人の数だけ、物語があります。道順も、違います。反応にへこたれず、信じることを発信し続ける。意見の相違があれば、相手の声に耳を傾け、会話を続ける。
そのようにして重ねた時間の「共有」こそが、相互理解を深め、かけがえのない関係を作っていくのだと思います。身近な人間関係から外交に至るまで、共通するのではないでしょうか。「共感」ではなく、「共有」を。来る新年を、その実践の日々とすることをお誓いして。ではまた次回(^^♪/////////////
<NEWSあれこれ>
12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。
01月01日(水):NHK「年の初めはさだまさし」を取材(掲載:まさしんぐWOLRD)
01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店!
こころを解き放つ時間を「共有」しませんか~(^^♪///
あなたとのご縁を楽しみに、精進致しまするぅぅぅ~~m(_ _)m
涙と笑い。その順番で。 2019年12月11日号
(はてなブログより)
世は空前のポジティブ思考ブーム。本屋さんの平積みも、新聞&ネットの出版案内も、ポジポジポジポジの大行進。根っからの意気地なしのせいか、目にもまばゆく、思わず「はは~」と頭を下げてしまいます。おそるおそるの私見ですが、やっぱりはじめに「涙」ありき、と思うのです。「悲喜交々(こもごも)」に、「泣き笑い」ってな言葉も、あるじゃあないですか。悲しみを越えた先にこそ、本当の喜びがあるのでは・・・などと思うのですが、いかがでしょう。
見えない明日への不安、破産を極みにした生活への不安、思い通りにならない不満。逃げても逃げても追ってくる、ネガネガネガネガの大行進。ある時、思い切って立ち止まり、不安と不満を大放出し、「あ~、もう! 焼くなり、煮るなり、好きにしろっ!」などと開き直ってみると・・うん、これが案外、ショック療法というものでしょうか。ネガの峠をなんだか越えた気分になりました。
世の中を見渡せば、ポジポジポジポジの大行進ばかりが目に付くけれど、ひとも羨むあの方も、悠々暮らすあのひとも、ネガネガネガネガに追いかけられている模様。不老不死すら、かなってしまえば虚しいもの。何を手にしても、不安や不満は形を変えて消えぬもの、と知ると、足元のささやかな一歩に、感謝が湧くのです。涙のあとにこそ、本物の笑いがある。たっぷり泣いて、大笑いしましょう。ではまた次回に(^^♪////////
<NEWSあれこれ>
12月20日(金):南麻布で「ココロミ発表会 Vol.2」に出演。
12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。
1月25日(土) :神楽坂で「ポエムバー in 六角堂」開店!
こころを解き放つ、非日常をご一緒に!
あなたとの出会いを楽しみに、精進致しますっ! ハイ(^^♪
おわりのはじまり。 2019年11月27日号
(はてなブログより)
オフィシャルサイト内のブログではじまり、登録制のメルマガを経て、改めましてのスタートと、相成りました。日々の徒然をゆるゆる記す、世間ハズレのブログです。日常のあれやこれやの追っ手から、ひととき逃れ、陽だまりの縁側で、ぼ~っと庭を眺めるような、そんな気分で、お読み流しいただけましたら、しあわせです。
さて表題。まもなく師走。1年最後の月だけれど、新たな年につながる月でもあるわけで。転じて思い、もしもこの世がすべてなら、お迎えの死は「おわり」だけれど、あの世もあると信じれば、未知なる旅への「はじまり」です。出会いがあれば別れもある。別れるからこそまた出会う。
というわけで、本記事も、おわりのはじまり。言い換えるなら、さようならにこんにちは、でしょうか。人生は、思い通りにいかぬもの。同じつらいのなら、楽しくやったほうがいい。笑門来福。先人の言葉に、生き方の極意を見る思いです。この身で歩む物語、主役は、もちろん、この身の主。なにはなくとも大手を振って、わけなどなくとも笑顔をつくり、今日も元気にいきましょう。通い慣れた並木道、枝から聞こえるさえずりに、ふと気づいたら、こころの扉が開きはじめた合図かも。おわりはあるから大丈夫。はじまりもあるから大丈夫。ではまた次回に(^^♪////////
<NEWSあれこれ>
12月20日(金):南麻布で「ココロミ発表会 Vol.2」に出演。
12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。
1月25日(土) :神楽坂で「ポエムBARよわねこ」(仮称)開店!
こころを遊ばす、非日常をご一緒に! 詳しくは、↓オフィシャルサイトで。
あなたとの出会いを楽しみに、精進致します、ハイ(^^♪
スナフキン(トーベ・ヤンソン作のムーミン童話の登場人物)を師と仰いでいることを公言して以来、身辺の有り様を、これまで以上にシンプルに、と心がけるようになりました。旅を日常として、旅のなかに生きたいと願うには、僕は、あまりにも多くのモノに囲まれていました。まずは、何より本棚の整理から!と思い立ち、ごっそり整理すると、中学生の頃に書いた、文集が見つかりました。「しながわ」と題されたその冊子は、品川区の教育委員会が作成した文集のようで、区内の中学校から、各校の生徒が寄稿しています。僕の作文が掲載された第21号は、「働く」がテーマでした。「働くということは、生きることだと思う」と書いた、当時(中学3年生)の僕の言葉に、はっとさせられました。自己実現ではなく、社会貢献でもなく、「生きること」と表現していた自分に、何か、今の自分へのエールをもらった思いがしたからです。働くとは、生きること。改めて胸に刻んで、明日を迎えようと思います。あなたにとって「働く」とは、なんですか?(次回は5月6日頃に😊)
よわねこ日記/昨日、仕事つながりで訪ねた「砥峰高原」。不思議な空気を感じた景色でした。惹かれるままに記録(写メ)に残しました。敷地の端に建つ展望台を備えた施設を訪ねてみると、村上春樹氏原作の映画「ノルウェイの森」のロケ地と知り、妙に納得した次第です。土地に根付いた「氣」は、きっと、初めて眺めた瞬間にも、何かを放つものなんだなぁと感じました。明日も皆さんにとって、穏やかな1日でありますように。 necoya (次回の更新は9月10日頃に(^_^;))
僕はスナフキンを人生の師と仰いでいます。トーベ・ヤンソンが生み出した、あのスナフキンです。砂(スナ)には至らぬ粉(コナ)の身ということで、コナフキンを名乗り、ソロ活動に臨もうと思った次第です。こんな帽子も手に入れました。あなたにとって、人生の師とはどのような方ですか。その背中を追う道が、明日への道標かも。。。(次回は30日頃に(^^♪)
フランスで禅を広めた弟子丸泰仙氏は、「こころに革命を」と説いていたと聞きました。常識や世間体を超えて、自分のこころに革命を起こす。なんだか勇ましい表現に聞こえるけれど、生きているという能動的な生から、生かされているという受動的な生への意識転換は、西欧の人に衝撃と救いを与えたに違いない、なんて思ったりするのです。今こそ、こころに革命を、ですね(^^♪。
隔週更新を目標にスタートした、よわねこ通信。記念すべき第一報は、新たな\相棒のご紹介。コナフキン活動の本格指導に向けて、迎えました。腕の中にすっぽり収まるミニサイズ。デビューはいつかな。軽いけれど、良い音出しますよ~!皆さまどうぞ、ご贔屓に。。。necoya
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