古屋自身がゆるゆるとつづる、身辺雑記です。

2020年7月19日付で「よわねこの歩き方」と改名し、

「今を伝える」オンラインギャラリー「よわねこギャラリー」内から、”ほぼ月刊”で発信しております。

<バックナンバー>

ことばと糸でつむぐ歌  2020年7月7日号

(はてなブログより)

 

九州を襲った豪雨のニュースを呆然と眺めながら、コロナ禍の不安が、いっとき、頭から離れてしまいました。川の氾濫や避難所の様子に既視感を覚えるほど、日本では、ここ数年、水害が絶えません。亡くなられた方、被害に遭われた方、我が身に置き換えると、言葉を失います。

 

昨秋、自作の詩に、ささやかな絵を添えたポストカード展を計画していました。延期を重ね、今年7月の開催としたおかげで、刺書家(刺繍+書道)の佐藤日奈子さんと出会い、コラボ展へと姿を変え、7月6日に初日を迎えました。タイトルは「ことばと糸でつむぐ歌」。

 

会場は、東京・要町(豊島区)にある古民家カフェの「藤香想」。2階の和室が発表の場です。2015年の9月。雨傘をさしながら、いつものごとくの猫道散歩で、偶然見つけ、ひょんな流れでお店のテーマソングを作詞させていただき、以来、朗読イベントやLIVEでお世話になっている、とても大切な場です。

 

自作の詩に感銘していただいた、佐藤日奈子さん。僕が自筆した詩を糸で縫い、世界で一つの「詩繍」に仕上げてくれました。日奈子さんのインスピレーションで選び、コーディネートした、布と、糸と、額。当初のポストカード展から大変身! すっかり、アート展の装いとなりました。なんとも優しく、やわらかな言霊が、額のなかで、歌い、踊っています。思いもよらぬ結実に、感謝するばかりです。

 

人生は不思議です。考えもしなかったシナリオで、展開していきます。幸いはもちろん、災いも。予期せぬタイミングで訪れます。その出来事に直面したとき、当事者として、どう受け止め、納得したらよいのか。僕は、涙色のニュースに接するたびに、その方便を考え続けていました。答えには、まだまだ遠いけれど、手にした「言葉」をお届けします。

 

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どうして私が。

涙で問うと。

選ばれたのだと。聞こえた気がした。

どうすればいいの。

無言で叫ぶと。

声をあげるのだと。届いた気がした。

誰かに伝えるために。

誰かを救うために。

選ばれたのだと。

どうして私が。

天を仰ぐと青空を雲が泳いでおりました。

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どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

その1:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日~13日

その2:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪

その3:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪

 

ふんばれ。こころ。 

あなたのご無事を祈って、精進致します。

「おとぎ話」を書くように。  2020年6月26日号

(はてなブログより)

 

あなたのなかの “アナタ” は、お元気ですか。巷に溢れる魑魅魍魎のエネルギーに、惑わされて、振り回されて、こころの空模様まで、怪しくなっていませんか。かくいう僕こそ、実は、そんな感じです。勇気と不安が、くるくるくるくる、出番を変えています。

 

ウィズコロナ時代の社会論は、専門家に任せることにして、さて、自分の発信箱には、どんな言葉が準備できているだろうかと、こころの内を覗いては、見つけた言葉を吟味し、首を振っては戻し、しばらくしてから、また覗く。その繰り返しの毎日でした。おかげで、またまた、1回飛ばしに足すことの2日なり・・・と相成った次第です。ごめんなさい。

 

新型コロナウイルスを語るときの難しさは、ひとの数だけ、被害の状況や、それに伴って生じている問題が異なる、という点です。発信する言葉に窮した言い訳です。これから直面するであろう不況以上に、僕は、こころの荒廃を恐れます。

 

感染症対策という名のもとに、監視社会の足音が、大きくなっている気がしてなりません。「のんき」なんていう言葉や、「いいかげん」「ちゃらんぽらん」なんていう言葉遣いまで自粛させるような空気が、蔓延しないよう祈るばかりです。

 

そんな不安がよぎるから。僕は、「おとぎ話」を生きたい、と改めて思うのです。僕にとっての「おとぎ話」とは、根っからの悪役は決して出てこない物語のこと。主役は僕です。僕の人生の物語ですから。登場人物たちは、この世でお付き合いする方たち。キャスティングは、随時、見直し、入れ替える。

 

「笑う門には福来る」「渡る世間に鬼は無い」この国に伝わる、そんな言葉を具現化した「おとぎ話」にしたいな。誰に会うか。誰と過ごすか。何を残し。何を捨てるか。脚本・主演は僕だから、それらを選択できるわけです。「世界の有様」を僕の思いだけで変えることは叶わないけれど、「僕の世界」なら、変えることができるはず。

 

世間は冷たい、自分勝手過ぎる、と思うなら、人情に満ち、利他で行動する登場人物たちに、キャスティングし直せばいい。その試行錯誤を経ることで、時代がどれほど変容しようと、自分にとっての理想のコミュニティー(いのちへの尊厳と寛容さに満ちた関係)を手に入れることができるはずだと、僕は信じます。今さら、登場人物を変えられないって? それなら、あなたが変わればいい。主人公が、気づきという名の変貌を遂げて、周囲を照らすひとになる、それこそ素敵な「おとぎ話」ではありませんか。

 

理想の「おとぎ話」を書くように、「あなたの世界」を創りませんか。

どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ/深呼吸の週末を~0626号>

その1:さだまさしさんのコンサートツアープログラム Vol.75発売開始!製作を担当した、さださんのツアープログラム(52ページ)が、公式オンラインショップで発売開始されました。

 

その2:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日・8日~13日

 

その3:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪

 

その4:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪

 

ふんばれ。こころ。

あなたのご無事を今日も祈って、精進致します。

「自由」と「覚悟」を携えて。  2020年5月29日号

(はてなブログより)

 

前回から、1回飛ばし&2日遅れの更新となりました。しばし沈黙しておりました。「今、心から発信したい言葉とは?」自問していました。『星の王子さま』に登場するキツネは言っています、「言葉なんて、誤解のもとだからね(※)」と。この身に抱えた気持ちを誤解なく言葉で伝えるのは、やはり、なかなかにやっかいなものです。(※)サン=テグジュペリ 作/三田誠広 訳(講談社 青い鳥文庫)

 

東日本大震災に遭った2011年3月11日。僕は、その数日後に、一篇の詩をSNSで発信しました。わが身への碑文として。タイトルは『0311』。あまたの命を失って/あまたの気づきが起こるだろうか/あまたの涙を前にして/あまたの戦が終わるだろうか/三万人が自死する国の/生の重みは変わるだろうか/わずかなコインを捧げて祈り/僕は心に問うのです/すべての答えはわが身にあると

 

2011年3月、僕は、これから生きていく上で身に付けるべくは、「リラクゼーション」と「サバイバル」だと心に刻みました。2020年5月、僕は、その思いを書き換えました。「自由」と「覚悟」へ。「自由」とは、「身勝手」とは異なります。広辞苑(岩波書店)によれば、「責任をもって何かをすることに障害がないこと」「無条件的な絶対の自由は人間にはない」とあります。「自由」とは、「自立した精神」と、「持続可能な環境を愛する生き方」だと、僕は感じ取りました。

 

人類は、大きな転換点を迎えています。人と人がふれあうことが死に至るという恐怖は、ビジネスはおろか、「コミュニケーションのあり方」を変えてしまいました。つまり、「愛の形」を変えてしまったのです。けれど、私たちは、「自由」を失ったわけではありません。人間中心の、「エゴという名の自由」が制限されたに過ぎないのではないか、と僕は考えます。今こそ、「責任を伴った自立した精神」へのステップアップの機会なのだと。

 

どこかに出向くとき、誰かとふれあうとき、未知の体験に身を委ねるとき、私たちは、「覚悟」を迫られるでしょう。けれど、それが自然というものです。絶対的に保証された安全など、本来、ないのですから。何が起こるか分からない、それゆえに、自ら選択し、納得し、覚悟を決めて、進む。人生とは、生きるとは、本来、その連続ではないでしょうか。

 

かくいう僕自身も、不安を抱えながら、恐る恐る生きる身です。人類が直面した未曾有の困難に、その一人として立ち会いながら、明日を模索し、心細くも小さな一歩を重ねています。どんな道をたどるのか、分かりません。この先、何が起こるのか、分かりません。確かなことは、まだ、生きている、生かされているということだけです。その事実を杖に、一瞬一瞬、確かめるように呼吸をして、「自由」と「覚悟」を携えて、歩き続けます。

どうか、ご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////

 

<NEWSあれこれ/アナタのココロに青空を~>

その1:展示会のご案内/「ことばと糸でつむぐ歌」7月6日~13日

その2:インスタグラム「よわねこアルバム」ほぼ日刊で発信中(^^♪

その3:オフィシャルサイトでは「ほぼ隔週刊詩」を発信中(^^♪ 

 

ふんばれ。こころ。

あなたのご無事を祈って、精進致します。

新しい「私」を見つける。  2020年4月30日号

(はてなブログより)

 

「不安」と「希望」は同じもの?

 

あるとき、日向(白)と日陰(黒)は、光次第なのだと気づきました。光が射せば日向となり、遠のけば日陰になる。以来、二元論で語られるものの多くは、対立する存在ではなく、視点(捉え方)を変えただけなのだと考えるようになりました。善と悪、愛と憎しみ、幸福と不幸、勝者と敗者。成功と失敗。不安と希望も、また然り。

 

先が見えないという状態においては、「不安」も「希望」も同じです。気持ちが強ければ(光を得れば)、「希望」を感じ、気弱なときには(闇を抱えれば)、「不安」に襲われる。さて。今の「私」は、どうでしょう。顔を伏せて不安を募らせるばかりで、運命が与えた変化(生き直し)への希望を見逃しているかもしれない。

 

「未来」づくりという名の「利他」

以前、「私はアナタでできている」というタイトルの詩をつくりました。日本には、「お陰様」というすばらしい言葉があります。自分の力ではなく、人様の力添えを得て、生きている。私たちは、今まさに、「生かされている」という事実を目の当たりにしています。直面した困難から学び、覚えた気づきで自らを改善し、明日に生かすこと。明日を創造することこそが、「今」に生きる者の使命ではないでしょうか。あきらめずに、明日という「未来」を想像し、その道を拓く(創造する)姿勢は、立派な「利他」です。

 

我欲を見直す。物欲を見直す。人間関係を見直す。暮らし方を見直す。仕事を見直す。生き方を見直す。住む土地を見直す。生活習慣を見直す。価値観を見直す。エトセトラ、エトセトラ。自分なりの見直しの先に、見失っていた「私」との再会があるかもしれません。「私」と和解し、新しい「私」を手に入れる。その集積は、やがて、経済至上主義を見直し、地球環境の保全を加速させ、ひいては、欲望に駆られた資本主義に、「分配」の理性を呼び戻すと信じたい。

 

分断と不寛容に陥らず、連帯と寛大さを。わが身にも誓いながら、社会の気づきと進化を祈るばかりです。

どうかご無事で。ではまた。次回に (^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

オフィシャルサイト内「こころのさんぽ」/新設しました 

 

ふんばれ。こころ。

あなたの無事を祈って、本日も精進致します。

ふんばれ。こころ。  2020年4月17日号

(はてなブログより)

 

「STAY HOME SAVE LIVES」家を出ないで、命を救う。

 世界が直面している、この困難の中で、あなたは、どんな思いを抱えて、過ごしていますか。自粛という名のもとに、行動の自由を奪われた一方、思わぬタイミングで、与えられたものもあると思うのですが、いかがでしょう。

 

「自分と向き合う」

時間に追われる日常から、否応なく遮断された瞬間に手にした、自問の機会。「今、何をしたいか」「今、誰に会いたいか」「今、何に支えられているか」。「今」を意識することで、おぼろげだったいくつもの「何」が、はっきりと見えてくるとしたら。この事態は、生き方を問い直す機会なのかもしれない、と思えるのです。

 

「覚悟する」

フリーランスで活動している僕にとって、直面している事態は、これまで経験したことのない不安に満ちた、恐怖です。けれど、その一方で、前述のような、目覚め(決断)の機会を与えられたのかもしれないと感じます。「ためらわない」。僕が得たメッセージです。

 

「選択の自由」

どのような状況にあろうと、選択の自由はこの手にあります。この世に生を受けたのだから。(受精~誕生~)奇跡の命を与えられたのだから。生き延びようではありませんか。人に頼って。苦難を叫んで。寂しきは寄り添って。心細さは励まし合って。生き延びようではありませんか。どうか、あきらめないで。発信し合いましょう! お互いの選択を、お互いのふんばりを、お互いの涙を。ではまた。次回に (^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

よわねこアルバム」/インスタグラム 本格スタート!

 

ふんばれ。こころ。 (^^♪/////

あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。

未来の自分に伝えたいことは?  2020年4月1日号

(はてなブログより)

 

来年の自分に? 3年後の自分に? 5年後の、10年後の自分に? 今の自分から言葉を伝えるとしたら、あなたは、どんな言葉を伝えますか。

 

3年前。5年前。10年前の自分を思い返すと、今が不思議です。うれしい出来事。つらい事柄。人には話せない眠れぬ夜。さまざまを乗り越えて、こうして、僕は生きている。祖父母たちが。叔父叔母たちが。従兄弟が。父が。友たちが。逝ってしまったけれど、僕は生きている。

 

10年後の自分に僕は伝えたいのです。「名も無く、余裕もなく、恐る恐るの毎日を過ごしているけれど、思い通りにいかないことが多いけれど。大切な人がいます。大好きな場所があります。自分自身を励ますように、言葉を紡いでいます。だから、しあわせです。この先に、何が待ち受けているのか、わからないけれど、このまま進みます。宇宙を翔け巡るように」

 

「今を生きる」とは、たとえば、この日常を愛し、行き違った思いと和解し、覚悟を手に歩くこと。たとえば、ポジもネガもないのだと思い知ること。すべての出来事はサインであり、導きであると気づくこと。たとえば、孤独さえも受け入れて進むこと。 

 

ではまた。次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

それでも、陽は昇る (^^♪/////

ほぼ隔週刊詩」発信中。

あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。

 

居場所を探して。  2020年3月23日号

(はてなブログより)

 

この世界で確かなものがあるとしたら。それは「すべては変わる」ということ。人のこころも。体も。街の景色も。深山も大海も。同じように見えていても、目を凝らすと、変化し続けている。その軌跡は、先へ先へと伸びる。

 

この惑星も。太陽系も。猛スピードで、移動し続けている。静かに空を見上げる朝も、机上で仕事に向かう午後も、この身は、移ろいのなかにいる。「現在」から「未来」へ、見えない力に導かれるように、前へ前へと進む。

 

この世に生を受けた意味があるとしたら。その一つは「居場所」を見つけること。あらゆるものを消費しながら、手放すことを覚え、孤独を乗り越え、「魂の丘」を見つけること。肌身離さず「覚悟」を抱え、気まぐれな「勇気」を奮い立たせて。記憶された物語を読み進む。

 

「さよなら」に負けず、「こんにちは」に怯えず、目の前で起こることを受け入れながら、受け流して、次のページをめくるように、「その道」を探す。こころがすっかり安らいで。強がりも励ましもいらなくて。流れる涙をゆっくり乾かしてくれる。そんな「居場所」、「魂の丘」へ続く道。きっと、見つかりますように。 

 

ではまた。次回(^^♪///////

 

光を持ち寄る、穏やかなひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとのご縁を祈って、本日も精進致します。

ピース或いはよわねこ喜譚  2020年3月12日号

(はてなブログより)

 

なんのこっちゃのタイトルですが、コトバ相手の戯れと、眉間のシワを緩めつつ、耳かきなんぞしたりして、「このご時世じゃ、遊び一つも難儀する。どれ、暇つぶしに、こやつの物言いでも眺めてみるか」ってなご心境で、「寛大」を手に、お読みいただけましたなら、うれしい限りでございます。

 

ほぼ隔週刊なんて甘えておきながら、すっかり「週回」遅れとなり、あてにならぬ身で、恐縮至極の次第です。来る東京オリンピックの影響で、ここ数年お手伝いしている、さだまさしさんのコンサートツアーが、例年より、ひと月早くスタートすることとなり、やることなすこと時間がかかるこの身ゆえ、すっかりどっぷり、しっかりと、仕事に精を出していた次第。恥ずかしながら、まだまだ渦中でございます。

 

しょーもない言い訳はさておいて。件のタイトル。ピースは「しあわせ」ではなくて、「断片」あるいは「欠片」の意。吹けば飛ぶようなこの身に起こった、ささやかな喜びのご報告、とまあ、そんな了見でございます。すっかりどっぷり、しっかりと、向き合っていたその折に、処は上野、東京藝術大学で、澤学長にインタビューする機会がございました。トーキョーゲーダイとは、我が身には、憧れ以前の存在です。役割を果たすべく、冷や汗たらりと流しつつ、ご無礼をしてきた次第。実はこの折、うかがったお話の内容は違えど、日頃この身を満たしている、「草木国土悉皆成仏」にも通じるメッセージを、手前勝手に感じたのでございます。

 

処も日付も変わりまして。今度は、さだまさしさんにお話を聞きながら、ここでもまた、お話の内容は違えど、日頃この身を支えている、「無条件の自己肯定」なる考察にも通じる問い掛けを、手前勝手に感じた次第。我が身から見上げれば、遥かな高みでご活躍の方々のお話ですが、身に受けた風は、地道に歩く我が身の歩幅に、「手にした地図はそれぞれ違う。そのまま行けば良いではないか」と教えをいただいた思いなのでございます。もっと具体的に言わんかい、という、御仁。然り。エピソードの詳細は、拝顔した折にぜひ。

 

何はともあれ、お伝えしたいのは、この身に起こる「シンクロ二シティ」あるいは「コンステレーション」を感じることこそ、進路を示す、人生の標識ではあるまいか、という私見でございます。それらは決して、特別なものではなく、誰にでも起きているに違いない、そう感じるのでございます。肝心なのは、アンテナの感度だけ。

 

生きるには、覚悟が欠かせないことを、改めて思い知る今日この頃。見えない力を感知する、こころの感度をアップして、明日も元気にまいりましょう。 1週遅れとなりました、徒然なるままの戯れの拙文。ご無礼、お許しのほどを。 

ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

07月6日~13日  :刺書家の佐藤日奈子さんとコラボ展、開催(^^♪

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!担当したツアープログラム、ただいま製作中です(^^♪

こころを解す、縁側気分のひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとの出会いを楽しみに、本日も精進致します。

私は「あなた」でできている。 2020年2月20日号

(はてなブログより)

 

何事も思い通りにならぬ不満と、明日をも知れぬ命への不安が、人を苦しめるのだと知り、なるほど、数多ある憂いのアレコレは、その二つに帰結するのだと合点し、なんだか心の荷が軽くなった気がした。

 

とはいえ、目の前に、生々しくも恨めしい日々の生活が横たわっていることに変わりはない。朝の商店街を駆け抜ける車輪の音に急かされて、駅へと走り、昼はせっせと、空腹に季節を忘れた食材を流し込み、不思議絵の階段を昇るごとくの労働に身をやつし、日暮れに追い立てられながら、密着列車で送還され、一日を終える。その繰り返し。

 

口をつくのは溜息ばかり。なんとも情けないありさまよ。ぼやきの吐息を見送って、ふと見上げれば夜の月。天上に貼り付くように笑っている。それも一生、これも一生。すべては仮初、この世は夢と思うなら、今日の憂いも笑い飛ばせるではないか。などと、誰とも知れぬ言い分が、静まり返った商店街をヒラリヒラリと泳いでいく。

 

啓示というには不確かで、悟りというには頼りない、道端の小石のようなささやきが、萎えた足取りを軽くした。然り。今が限りとするならば、袖すり合うはすべてがご縁。ミトコンドリア・イブのご登場を願うまでもなく、この世は縁の数珠つなぎ。誰彼含めて縁者であった。

 

比べて強がりへまをして、あの道選んで躓いて、途方に暮れて助けられ、思わぬところで杖を得て、前後不覚でフラフラと、目にした扉を必死で叩き、開いた部屋に倒れこみ、気を取り直して立ち上がり、さしたる気概もないままに、一歩一歩と積み重ね、今日を迎えていたのであった。

 

軌跡は奇跡の連続で、タイトロープの道のりだった。今が限りと想像すれば、ありがとうを忘れ去り、あたりまえに首まで浸かり、ふんぞり返った古漬が、この身と気づいた次第であった。風呂上がり、足先の指を見つめて思う。グー、チョキ、パーすら曖昧で、思い通りに動かせぬ。ましてや胃袋、肝臓に、腎臓、膵臓、心の臓、意思が通せるわけがない。

 

自分の体というけれど、授かりものの器のようだ。すると一体、「私」とは、この体のどこに居て、その実、何者なのであろう。思い返せば、感情や、扱いなれた言葉すら、握ったはずの手網を離れ、制御不能になることがある。そこに居るのが、隠されていた「私」であるか、見ず知らずの「ワタシ」であるか、未だ私には分からない。されど、この体が、授かりものの器なら、この「私」とて、私のものではないのであろう。

 

なんだか、煙に巻かれたようで、すべてがばかばかしくなった。いつか目にした清流をプカプカ浮いて流れゆく、ふやけた小枝が目に浮かぶ。そうだ。この身はきっと、小枝なのだ。自覚も意思もあるけれど、流れに抗うわけにはいかず、流れ流され、そのままに、日照りに乾き、雨に濡れ、時には小鳥の止まり木に。そして、いつしか朽ち果てて、遂には炭素に姿を変えて、天に還っていくのであろう。

 

私とは、私以外のものだった。私とは、私以外の命がつくる、小枝のごとき像だった。されば、まだ見ぬ、あなたのおかげもここにある。私はあなたでできているのだ。 

 

ではではまた次回(^^♪/////////

 

こころの開放時間、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとのご縁を楽しみに、今日も精進致します。

世界は「サイン」に満ちている。 2020年2月6日号

(はてなブログより)

 

「もしも・・・」の話です。もしも、風にコトバがあったなら、今日、あなたが受けた風は、あなたにどんなコトバをかけていたと思いますか。もしも、鳥のコトバが聞こえたら、並木道で耳にしたさえずりは、何を話していたと思いますか。もしも、水にコトバがあったなら、花にコトバがあったなら、夜空の月にコトバがあったなら、あなたはそこに、どんなコトバを想像するでしょう。

 

「この世界は音に満ちている」空海は、そう語ったと聞きました。僕は、その「音」を「サイン」と読み替えてみました。この身を取り巻く世界は、「サイン」に満ちていると、仮定してみたのです。ユーミン(荒井由実)が「目にうつる全てのことはメッセージ」(「やさしさに包まれたなら」の一節)と歌ったみたいに。

 

世界に生きる77億人(2019年時点:国連発表)のなかで、同じ人間はいません。「僕」という存在、「あなた」という存在は、唯一無二です。過去も、未来も。クローン人間が誕生しない限り、いえ、たとえ、クローン人間が誕生したとしても、「こころ」はコピーできないでしょう。なぜなら、「こころ」は形のないものだから。そう考えると、一人ひとりの存在は、やはり奇跡であると、思わざるを得ません。

 

僕もあなたも、奇跡の存在です。そんな思いで、空を見上げると、ほら、聞こえてきませんか。「だいじょうぶさ」って。  ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラムの製作を拝命致しました。

こころ解す、日向ぼっこなひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとのご縁を楽しみに、今日も精進致します。

あなたは「ジブン」を信じていますか。2020年1月22日号

(はてなブログより)

 

「幸せですか」という問いに、あなたはどう答えるでしょう。こころの変換キーを1度押すと、その問いは、「あなたは“ジブン”を信じていますか」に姿を変えます。迷うことなく、「はい! 信じています」と答えられる人は、どれほどいるでしょう。かくいう僕は、YESながらも、その声は、おそるおそるの小声です。あなたはいかがですか。

 

こころの有り様を想像するとき、ジグソーパズルが思い浮かびます。「世界でひとつの幸せのパズル」です。形も、ピースの組み合わせも、オリジナル。しかも、完成の絵は定まっていません。日々、変化するのです。ピースの形も、また、しかり。体験や気づきによって、大きさまで変わります。はめ込みが、遅々として進まないときもあれば、一気に進むときもある。完成が近づいたと思ったら、隠れていた部分が見えてきて、把握していた大きさが違うことに愕然とする、なんてこともたびたび起きる。

 

そんなパズルですから、思い通りには進みません。ほかの人に手伝ってもらうこともできないし、ほかの人のやり方を真似るわけにもいかない。なにせ、変幻自在の特注品、僕だけの完全オリジナルなのですから。完成に必要なのは、自分を信じること。

 

自分を信じるとは、「無条件の自己肯定」にほかなりません。ありのままの自分をまるごと受け入れる。簡単そうで難しい。けれど、自分を信じること(無条件の自己肯定)ができれば、同じように、自分を信じている「他者を受け入れること」(無条件の他者肯定)もできるはず。すると、毎日は、ずっと生きやすくなると思うのです。幸せのジグソーパズルも、するすると、はめ込みが進みます。まずは何より、「ジブン」を信じてあげられるよう、今日も「あなた」を大切に。ではまた、次回(^^♪///////

 

 

<NEWSあれこれ>

01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

04月16日(木):さだまさしさんのコンサートツアースタート!今年もツアープログラムの製作を拝命致しました。

※3月に開催を予定しておりました「手のひらメッセージ・ポエム展」は、製作時間の見直しにより延期致しました。夏開催をめざし、準備致します。

 

こころ遊ばす、自在なひととき、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとの出会いを楽しみに、今日も精進致します。

「ゆっくり」ただそれだけで。  2020年1月8日号

(はてなブログより)

 

技術革新による時短で得た「ゆとり」は、どこに消えてしまったのでしょう。効率化、合理化、あるいは省力化。それらの恩恵で手にしたはずの「時間」は、何に化けてしまったのでしょう。身体をつくる食事の時間すら、後回しになるほど忙しく働きながら、何を手に入れようとしているのでしょう。

 

僕は、それらの答えを探すうちに、「何のために生きるのか」という大問題にぶつかってしまいました。何を恐れ、何を嫌悪し、何に傷つき、何に憧れ、何を喜び、何を目指しているのか。一つひとつ、自分なりの答えを整理しながら、「人は、何かと関わるために生きているのだ(生かされているのだ)」という結論にたどり着きました。

 

有機物、無機物を問わず、「何と」「如何に」関わるか。その記憶こそが、生きる行為なのだと感じたのです。僕にとって、「時間」は、かけがえのないものとなりました。時間を味わう姿勢こそ、生の源泉だと気づいたからです。「ゆっくり」「ていねいに」生きる。「ゆっくり」「ていねいに」関わる。

 

シンギュラリティーが声高に論じられる現代にあって、「ゆっくり」「ていねいに」生活することは、容易ではありません。覚悟が必要です。引き換えに失うものが少なくないからです。けれど、そこから僕は、実に多くのものを学びました。「ゆっくり」した生活は、この世の豊かな音を感じ取る、発見に満ちた、刺激的なものでした。その続きは、また改めて。(^^♪//////////

 

 

<NEWSあれこれ>

01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店

02月29日(土):南麻布にて「ココロミ発表会 Vol.3」に出演

03月02日(月)~09日(月):要町にて「手のひらポエム展」開催

こころを開く「縁側時間」、ゆっくり、ご一緒しませんか (^^♪/////

あなたとの出会いを楽しみに、今日も精進致します。

「共感」よりも「共有」を。  2019年12月25日号

(はてなブログより)

 

喜びと不安のやじろべえ的毎日を過ごす僕ですが、それでも、ようやく、牛歩の歩ながら、物事が分かりはじめている気がします。たとえば、今回のタイトル。ただ今のところ、これが素直な僕の実感です。「共感」は、やはり、容易くはできません。世の「正論」や、「多数意見」ほど、危ういものはないし、「誰かの気づき」に感動したときですら、その考えも、微妙に私見とは違っていることが、しばしばあります。

 

そんなとき、以前は、がっかりしていました。同志が見つからない現実を前に、孤独を深めていました。けれど、今は違います。その人の姿勢や考えを素直に受け入れる自分がいます。主張や手法、思考や行動に違いがあろうとも、同じ方角に歩を進めている人と、出会い、時間を共有できることに、喜びと感謝を覚えるからです。

 

志を手にしている人ほど、「共感」を追い求め、思い通りにいかぬ反応に、気落ちしがちなのかもしれません。人の数だけ、物語があります。道順も、違います。反応にへこたれず、信じることを発信し続ける。意見の相違があれば、相手の声に耳を傾け、会話を続ける。

 

そのようにして重ねた時間の「共有」こそが、相互理解を深め、かけがえのない関係を作っていくのだと思います。身近な人間関係から外交に至るまで、共通するのではないでしょうか。「共感」ではなく、「共有」を。来る新年を、その実践の日々とすることをお誓いして。ではまた次回(^^♪/////////////

 

 

<NEWSあれこれ>

12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。

01月01日(水):NHK「年の初めはさだまさし」を取材(掲載:まさしんぐWOLRD)

01月25日(土):神楽坂にて「ポエムバー in 六角堂」開店!

こころを解き放つ時間を「共有」しませんか~(^^♪///

あなたとのご縁を楽しみに、精進致しまするぅぅぅ~~m(_ _)m

涙と笑い。その順番で。  2019年12月11日号

(はてなブログより)

 

世は空前のポジティブ思考ブーム。本屋さんの平積みも、新聞&ネットの出版案内も、ポジポジポジポジの大行進。根っからの意気地なしのせいか、目にもまばゆく、思わず「はは~」と頭を下げてしまいます。おそるおそるの私見ですが、やっぱりはじめに「涙」ありき、と思うのです。「悲喜交々(こもごも)」に、「泣き笑い」ってな言葉も、あるじゃあないですか。悲しみを越えた先にこそ、本当の喜びがあるのでは・・・などと思うのですが、いかがでしょう。

 

見えない明日への不安、破産を極みにした生活への不安、思い通りにならない不満。逃げても逃げても追ってくる、ネガネガネガネガの大行進。ある時、思い切って立ち止まり、不安と不満を大放出し、「あ~、もう! 焼くなり、煮るなり、好きにしろっ!」などと開き直ってみると・・うん、これが案外、ショック療法というものでしょうか。ネガの峠をなんだか越えた気分になりました。

 

世の中を見渡せば、ポジポジポジポジの大行進ばかりが目に付くけれど、ひとも羨むあの方も、悠々暮らすあのひとも、ネガネガネガネガに追いかけられている模様。不老不死すら、かなってしまえば虚しいもの。何を手にしても、不安や不満は形を変えて消えぬもの、と知ると、足元のささやかな一歩に、感謝が湧くのです。涙のあとにこそ、本物の笑いがある。たっぷり泣いて、大笑いしましょう。ではまた次回に(^^♪////////

 

 

<NEWSあれこれ>

12月20日(金):南麻布で「ココロミ発表会 Vol.2」に出演。

12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。

1月25日(土)  :神楽坂で「ポエムバー in 六角堂」開店!

こころを解き放つ、非日常をご一緒に!

あなたとの出会いを楽しみに、精進致しますっ! ハイ(^^♪

おわりのはじまり。  2019年11月27日号

(はてなブログより)

 

オフィシャルサイト内のブログではじまり、登録制のメルマガを経て、改めましてのスタートと、相成りました。日々の徒然をゆるゆる記す、世間ハズレのブログです。日常のあれやこれやの追っ手から、ひととき逃れ、陽だまりの縁側で、ぼ~っと庭を眺めるような、そんな気分で、お読み流しいただけましたら、しあわせです。

 

さて表題。まもなく師走。1年最後の月だけれど、新たな年につながる月でもあるわけで。転じて思い、もしもこの世がすべてなら、お迎えの死は「おわり」だけれど、あの世もあると信じれば、未知なる旅への「はじまり」です。出会いがあれば別れもある。別れるからこそまた出会う。

 

というわけで、本記事も、おわりのはじまり。言い換えるなら、さようならにこんにちは、でしょうか。人生は、思い通りにいかぬもの。同じつらいのなら、楽しくやったほうがいい。笑門来福。先人の言葉に、生き方の極意を見る思いです。この身で歩む物語、主役は、もちろん、この身の主。なにはなくとも大手を振って、わけなどなくとも笑顔をつくり、今日も元気にいきましょう。通い慣れた並木道、枝から聞こえるさえずりに、ふと気づいたら、こころの扉が開きはじめた合図かも。おわりはあるから大丈夫。はじまりもあるから大丈夫。ではまた次回に(^^♪////////

 

<NEWSあれこれ>

12月20日(金):南麻布で「ココロミ発表会 Vol.2」に出演。

12月31日(火):国技館にて、さだまさしさんのカウントダウンコンサートを取材。

1月25日(土)  :神楽坂で「ポエムBARよわねこ」(仮称)開店!

こころを遊ばす、非日常をご一緒に! 詳しくは、↓オフィシャルサイトで。

あなたとの出会いを楽しみに、精進致します、ハイ(^^♪

ただいまを生きる

生き方ポエム
言葉遣いの身ではありますが、言葉は決して万能ではないと実感します。某和尚曰く「口は嘘をつくためにある」とか。ならば、そこから発せられる言葉は、信用ならない心の支配者かもしれません。日本には古来より、言霊という表現があります。言葉に霊が宿るという考え方です。呪力によって、言葉は、ときに私たちを支配し、心を曇らせもするのではないでしょうか。スマホから手を離し、呼吸に集中してみませんか。しばし言葉を封印し、無言の時間を過ごしてみませんか。そのひとときは、心のもやを晴らし、胸の内の声に気づく体験になるかもしれません。目を閉じて、光や音を全身で受け止め、口にする食物を全身で感じてみる・・・その変化をお試しください。
2019年からは登録制のメルマガでお届けいたします😊)

こころの波 ひかりの和

こころの波,ひかりの和
写真家・齊藤文護氏の写真展『無器』の会場で開かれたギャラリーライブに出演いたしました。同展の案内状では、「とらわれのない平安の世界がうまれますように・・・」とメッセージが添えられていました。作品から感じたキーワード「宇宙」をテーマに、5篇のオリジナル詩を朗読しました。ギターの旋律と、宇宙探査機ボイジャーが記録した電磁気を音波に変換した宇宙の音とともに。宇宙的な視座で考えると、この世も過程に過ぎないのだと思えてなりません。私たちは、知らず知らずのうちに、すべてを人間の範疇で考えてしまいがちです。視点を変えれば、地震や噴火の災害も、地球という星のエネルギー放出です。列島の被災地の復興を祈りつつ、「共生」という言葉の意味を改めて深く考えました。次回は最終号/12月19日頃に😊)

かたちなきもの

奈良公園
すっかり週遅れの掲載となり、お恥ずかしい限りです。神戸に取材に行っておりました。現地で寒風に吹かれたせいか、帰宅後、やや熱っぽく、数日、だらりとしてしまいました。取材の帰途、京都で途中下車をして、束の間の散策を楽しみました。大賑わいの古刹を避け、墓地で色づく楓を眺めました。その目の前の塀越しに見えた紅に導かれ、隣接した寺を訪ねてみると、仏さまが鎮座するお庭で見事な紅葉を拝むことができました。ひっそりとした静けさのなかで、陽光を浴びて輝く葉は、新緑のそれとは異なり、何ともいえぬ寂しさを漂わせていました。時間というかたちなきものの足音は、色や風に姿を変えて、すべてはうたかた消えて儚いこの世の夢と、この身に歌ってくれているようでした。次回は12月05日頃に😊)

よわねこ観劇記/ピアフ

ピアフ
有難いお誘いを受け、大竹しのぶさん主演の「ピアフ」観劇の機会を得ました。ところは日比谷、シアタークリエ。エディット・ピアフは、フランスが生み、フランスが最も愛したシャンソンの女王。殺人容疑、交通事故、麻薬中毒に男性遍歴。その人生は激烈でした。「私はまもなく死ぬでしょう。」の言葉ではじまる自伝(『わが愛の讃歌』エディット・ピアフ自伝:中井多津夫訳/晶文社)を読んだのは、1995年の夏でした。12年後の2007年・秋。映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』が公開されました。主演のマリオン・コティヤールは、同作で第80回アカデミー賞の主演女優賞を獲得。壮絶なピアフの人生を演じきった彼女の圧巻の演技が、今も忘れられません。時を経て2018年・秋。目の前で観た、大竹さんのピアフは、生きていました。身勝手で寂しがり屋で、チャーミングで下品な女。そしてひとたび歌えば、その声は、聴く者の心を鷲掴みにし、背中に羽根をくれるのです。女優というのは、かくも深く恐ろしく、そして偉大な職業なのかと思い知りながら、ピアフの愛に魅せられた3時間でした。次回は11月21日頃に😊)

よわねこ愚読録/古事記物語ー2

古事記
「続き」ものとしたにもかかわらず、2日遅れてしまいました。ごめんなさい。心の不安が『古事記物語』を読んで、すっかり晴れたその理由は・・・というくだりでした。前回ご紹介したとおり、『古事記物語』は、鈴木三重吉が『古事記』を児童向けに編集したものです。『女神の死』に始まり、『うし飼、うま飼』まで19の章に分かれています。最も驚かされたのは、神々の行動でした。意地悪はもとより、裏切りや、嫉み妬みはあたりまえ、兄弟すらも騙し合い、やたらに殺し合うのです。「八咫烏」の章では、「殺」という字が9箇所も出てきました。自分勝手な神話イメージを膨らませていた僕は、あまりの殺戮ぶりに驚愕しつつ、途中からなんだか可笑しくなってしまった次第。スケールの大きな世界で展開される予想外の物語に、なんだか励まされた気がしたのでした。神様ですらこうなのだから、小さな自分は迷って転んであたりまえ、とでもいうような。「愚読録」故、解釈不足はどうかお許しを(とはいえ、児童向けを読んだのですが・・・)。ぜひ1度、お読みになってみませんか。思わぬ発見(励まし)があるかも、です。次回は11月07日頃に😊)

よわねこ愚読録/古事記物語ー1

古事記
先日、千 玄室氏(裏千家 第15代家元)の講演を拝聴しました。日本文化に触れたお話のなかで、「ぜひ、古事記をお読みになってみてください」と語られ、恥ずかしながら未読だった僕は、今更ながら手に取った次第です。とはいうものの、はて、数ある編集・出版物のなかで、どれを選んだらよいものかと思案していました。そこで見つけたのが、鈴木三重吉氏が子ども向けに編集した『古事記物語』です。三重吉は、児童雑誌『赤い鳥』を創刊した児童文化運動の父と呼ばれる小説家。『赤い鳥』には、芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、谷崎潤一郎など錚々たる作家たちが寄稿したといいます。今春、偶然にも、赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡(東京都豊島区)を訪ねていた僕は(3月11日のブログの画像はそこで撮影したものです)、なんだか不思議な縁を感じ、『古事記物語』を手にしました。読み進めるうちに、僕の心の不安はすっかり晴れていきました。その理由は次回に・・・。次回は10月24日頃に😊)

何者でもない私。

癒す,気づく,ポエム
何者かになりたくて、心はずいぶん苦しんでいたりします。何気ない時間を見過ごして、特別な時間を待ち焦がれていたりします。今日の空を眺めながら、曇りのあとに青がのぞく空を認めながら、この身などおかまいなしに、世界が動いている気がします。そんなときは、いのちが少し遠ざかっているのかもしれません。何者でもない自分を受け入れると、心はずいぶん軽くなる気がします。世界は相変わらず、競って比べて、主張して、奪い合うばかりだけれど。達磨から数えて6代目、禅宗 中興の祖となった六祖 慧能曰く「知恵や悟りに必要な物などない。きれいな鏡も台もいらない。本来無一物だ。塵や埃も何一つない」ーーそんなメモ書きを読み返しながら、今日という日の無事に手を合わせました。次回は10月10日頃に😊)

巡り合えますように。

癒しのポエム
この世は夢だと、どこかで誰かが言っていました。ならば、彼の地の悲しみも、いつかは醒めると言うのでしょうか。天変地異には容赦なく、因果は無縁でございます。あるのは地球という星の、呼吸のようなあらぶる熱の、放出ばかりでございます。ふわふわとした希望をばらまく、ポジティブ論ではたちゆきませぬ。あるがままを受け入れて、悲しみの肩に寄り添って、涙をそっと分かち合う、そんな時間を重ねつつ、ゆるゆる進むばかりです。彼の地の涙を想像し、我が身の涙に置き換えて、すぐ目の前のその人と、過ごす時間も奇跡と気づき、天を仰いでつつましく、過ごすばかりでございます。願わくは、そんな思いを交わし合う、そんな気持ちを語り合う、その輪といつか合えますように。喜びは噛み締めて、楽しみは持ち寄って、悲しみは分かち合う。そんな輪に巡り合えますように。この世は夢だと、どこかで誰かが言っていました。ならば、この身の不安とて、いつかは安らぐはずでしょう。宇宙という名の広大な、世界に還っていく日には。次回は9月26日頃に😊)

夏のおもひで。

高校生ボランティア・アワード
4日遅れのUPとなってしまいました。暦は、もう9月。夜には虫の音が聞こえるようになりました。今年は、どんな夏を過ごされましたか。僕はといえば、ささやかな挑戦を続けていました。深く薄暗い森を、一歩一歩、足元を確かめながら進んでいるような時間でした。空は、晴れたり、曇ったり・・・。驟雨に遭って、木陰でじっと雨宿りしたり。誰の足跡もない道を進むのは心細いけれど、少しずつ気持ちが慣れてくると、案外、自分には合っているかも、なんて思ったりもして。そんな中、8月21日・22日の両日は、東京国際フォーラムで開かれた、『高校生ボランティアアワード2018』を訪ねてきました。昨年もブログで紹介したイベントです。さだまさしさんが大会委員長を務め、ボランティアに取り組む全国の高校生たちが集う、プレゼン発表大会です。身近な清掃活動や地域の防災活動、伝統文化を活用した地域貢献、自然環境の保全、福祉、国際貢献など。昨年にも増して、テーマは多彩でした。取材担当として、各校のブースを訪ね、話を聴きながら、我が身の高校時代をふと、思い出しました。ボランティア活動とは縁がなかったけれど、こんなふうに、熱っぽかったなぁ・・と。高校生たちの、それぞれに抱えているであろう山谷を想像しながら、あの頃の自分に背中を押された思いがしました。明日もどうかお元気で。次回は9月12日頃に😊)

寄り添うように・・・。

カフカ,癒やし
先日、門前仲町でトークセッションを開催しました。「いきるのヒント」と題して。編集者の斎藤さんとの二人会です。斎藤さんのおかげで、無事に終えることができ、ご参加いただいた方には感謝するばかりです。当日の準備を進めていくなかで、作家・五木寛之さんの著書(『生きるヒント』/文化出版局)に出会い、深い感銘を受けました(偶然ですが、タイトルもイベント名と酷似していて驚きでした)。読み進めるなかで、僕は思いました。「死に想いを巡らせ、命や人生の有限を感じることで、人は謙虚になり、生きる尊さに気づくのだ」と。カフカの名言を集めた『絶望名人 カフカの人生論/藤木弘樹編訳/新潮文庫)も、嬉しい出会いでした。カフカは、20世紀最大の文豪といわれる作家ですが、生前は不遇でした。生き方を含め、遺された言葉のあまりのネガティブさに、思わず吹き出してしまいます。とはいえ、その底流にある心境や思考は、実に共鳴・共感することが多く、わが身のネガティブさを思い知った次第。心に言い聞かせている「無条件の自己肯定」は、隠すように抱えている「無条件の自己否定」と裏腹なのだと、自覚しました。励ましよりも寄り添いを胸に精進します。次回は8月29日頃に😊)

沈黙と内省と。

癒やし,気づき
連日の猛暑が続いています。皆さん、いかがお過ごしですか。僕はといえば、炎天下での外出は極力遠慮して、すっかり読書の夏となりました。仕事の手を(つい)休めては、イマジネーションの旅に耽っています。と言いつつ、7月末から8月初めにかけて、取材で下関(山口県)を訪ねてきました。憂える空路(飛行機が苦手なんです(;_;))から無事に生還し、取材でたっぷり汗もかいたことだし、今夏のリアル旅は、これにて終了~という思いです。話は変わり・・・静かに読書三昧をしているせいか、この頃、ふと、身の回りの情報の海が気になりだして「あまりに囲まれ過ぎてやしないか」と自問することが増えました。「情報」は目には見えないけれど、可視化できたとすると、渋谷駅前のスクランブル交差点の真ん中に立っているような、そんな騒々しさを覚えてしまうのです。そこで今夏は「沈黙と内省」をテーマに、残る時間を過ごそうと思い至った次第です。起承転結も無視した飛躍的説明で、なんのことやら・・という感じですが、まあ、そんな思いでぼちぼちとやっております。画像は、過日、猿島でグイと喉を潤してくれたビア、その名も「無人島」。グビグビすれば、2本はあっという間です。皆さんも、潤いのある夏を!次回は8月15日頃に😊)

上を向いて歩こう。

開運ポエム
西日本豪雨の爪痕が、今も各地に残っています。この世を去った方々は、きっと安らかな世界から、ご遺族や縁のある方々のこれからを見守ってくれるだろうと思います。僕は家族を亡くすたびにそう思いました。復興に取り組まれている方々の姿を報道で見ながら、日常が戻る日を祈るばかりです。19日に広島に入り、呉市に取材に行く予定でした。3年振りに訪ねるのが楽しみでしたが叶いませんでした。自然の脅威の前では、人間はあまりに無力です。災害に直面すると胸をよぎるのは、「無事」という言葉です。何事もなく過ぎる日常が、どれほど「宝物」であるか。朝起きて、空を見る。雲が流れる。鎮守の森の木々の葉を風が揺らして、遠くに保育園の子供たちの声がする。商店街を走る自転車のベルと、おしゃべりに興じるご近所さんたちの笑い声。暑い暑いと言いながら、得意になったり、迷ったり、落ち込んだりしながら仕事をこなす。そんなドラマティックではない日常が、僕の宝物なのだと知らされます。どうかあなたの毎日が「無事」でありますように。「無事」が戻りますように。画像は、先日の書道教室の課題で仕上げた、鍾馗さんの水墨画です。魔除けに飾られるとか。あなたの穏やかな日常を祈って。次回は8月1日頃に😊)

きみといつまでも。

励まし,癒やし
身のまわりをふと眺め、モノ持ちのよさを自賛することがよくあります。現役の30cm定規は、小学生のときに招かれた友人の誕生日会でいただいたもの。辞書は買い足しているものの、小中学生のころに愛用していたものも併用しています。衣類や靴は10年組(当然流行からはほど遠くなりますが)。仕事の社判用スタンプ(赤・黒いずれも)に至っては、初めて事務所を借りたときに揃えて以来23年を経て、いまだに活躍しています(インクの長持ち具合は凄い!)。もちろん、傷んだり機能を果たせなくなったりしてさよならをした品々もありますが、どちらにしても相応の歳月をともにするので、モノを選ぶ時はいつも真剣です。一度手にすると、飽きずに使い続けます。気に入ったモノと出会い、長い時間をいっしょに過ごすと、いわゆる愛着が生まれ、ある種の交流を覚えます。捨てるときは「さよなら。ありがとう」と声をかけ、処分して(お別れをして)います。ずいぶん昔、まだ子供のころ、ネイティブ・アメリカン(当時はインディアンでした)の言葉で、すべてのモノには魂が宿っている、という話を耳にしたことがありました。その言葉が今も頭に残っています。たとえプラスティックのコップでも、製造に関わったすべてのモノ(人や素材)の魂が宿っているはずだと思ってしまいます。モノとの出会い、大切にしたいものですね。次回は7月18日頃に😊)

よわねこ夢日記。

夢日記
僕は、毎日(毎晩?)夢をみます。いつか、かないますようにって「心でみる夢」の方ではなくて、眠っている間に「枕の上(ときには外れていますが!?)でみる夢」の方です。物語はいつも大抵複雑で、展開に脈絡もなく、登場人物もバラバラ。目が覚めてから覚えていることが多いので、先日、思い立って、夢日記をつけはじめました。こんなノートを手に入れて。時折、既視感(デジャヴュ)を覚えることがあります。高校生のころ、夢の中でみた「生物学の定期試験のシーン」が実際に起こり、問題が同じでずいぶん驚きました。夢日記をつけるうちに、運がよければデジャヴュの検証がかなうかも、と密かな期待をしています。夢をみる人間の脳は、本当に不思議です。僕はそこで、空を飛んだり、巨大な仏教寺院をバスで訪ねたり、美しい芝の邸宅を散歩したり、ジャズセッションに参加したり、テヘランに旅立つスターのお世話をしていたり、畑の周りでドッジボールに興じたりしています。何かの本で読んだのですが、人は誰でも、睡眠中に夢をみるそうです。ただし、その内容を覚えているかどうかは個人差があるとか。僕も、起床後、時間が経過するほどにその記憶は薄れていきます。夢日記は、起きたらすぐつける。思い立ったらすぐ行動する、になんだか似ていると思いませんか。夢ってやはり、案外、現実とつながっているのかも、なんて。次回は7月4日頃に😊)

Reborn!

Reborn
先日、川口リリア(埼玉県川口市)を訪ね、さださんのコンサートツアーを拝聴しました。クリエイティブ・ディレクター&エディターとして製作を担当したプログラムが、無事にグッズコーナーに並んでいるのを見て、ようやくほっとした気持ちです。デビュー45周年という節目を、さださんは「Reborn~生まれたてのさだまさし~」と名づけました。表紙のロゴはさださんの自筆です。現状に留まらず、予定調和を嫌い、壊し続け、変わり続ける。生まれ変わることはできなくても、生き直すことはできるのではないか、と「今このとき」を生ききろうとする決意と覚悟に接し、多くの気づきを得ました。さださんに感謝するばかりです。誌面では、「ありがとうの歌語」と題した特集コーナーを設け、さださんと読者の心情をつなぐ機能として、自作の散文詩を挿入しました。製作作業の合間に、『職業としての小説家』(村上春樹著)を再読し、これまた今まで気づかなかったメッセージを受け取り、感動した次第です。以前は意識に残らずとも、時期を違えると、驚くほど新鮮に心に響いてくる。言葉って不思議ですね。受け手の環境や心情の変化に応じて、異なる輝きを放つプリズムのような言葉。そんな言葉を紡げるよう、今日も精進しています。次回は6月20日頃に😊)
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椛に初夏の花盛り

小牧山のもみじ
小牧山(愛知県小牧市)を訪ねました。織田信長が清須から移り住み、山全体を要塞化して、山頂に屋敷を構えたと伝わる地です。信長の死後、小牧・長久手の戦では、家康がここに自軍を構え秀吉と対峙したとか。標高85.9メートルの小山は、今では絶好の散策コース。周囲はランニングコースにも利用され、市民の憩いの場となっています。山頂には、何故か、秀吉が京都聚落第に設けた飛雲閣をモデルにしたという歴史館(小牧城)が建てられています。裏側に回ると、新緑の光のなかで「紅葉(もみじ)」の翼果が盛りを迎えていました。文字通り、翼の形状を利用して風に乗り、飛散するのです。「紅葉」とは、赤や黄に染まる木を称すもの。一般にイメージする「紅葉」の木は楓を指します。楓は、その葉の形から、古くは「かえるで」と呼ばれたそうです(参考:山本健吉『基本季語五〇〇選』)。木偏に花と書いて、こちらも「もみじ」と読みます。この時期に相応しい一字と思い、タイトルに咲かせてみました。次回は6月6日頃に😊)

幽玄なる時空への旅。

金春流宗家継承披露能
ユニットメンバーとして参加する表現運動「ココロミ プロジェクト」のリーダー・齊藤文護さんの名代として、5月4日、金春流宗家継承披露能を拝能しました。ところは、宝生能楽堂(東京・本郷)。主な番組は、「翁」「半能 高砂」「狂言 福の神」「能 佐渡」。観世流、宝生流、金剛流の各宗家の仕舞(舞手が紋付・袴姿で、4人程の地謡だけで舞う)という華も添えられ、休憩を挟み5時間を超える舞台でした。八十世から八十一世へ。能楽最古の歴史を有する金春流の継承の晴れ舞台が、僕にとっての初めての能体験というありがたさ(というよりも恐縮の極み)。歌舞伎座へは何度も足を運んだことがあるものの、狂言すら一度きり、という心許ない身。大緊張で迎えた当日でしたが、入念な予習が功を奏したのか、幽玄な時空旅行を堪能することができました。空間を自在に操る舞手の美技。光を呼び込み、変化を促す衣装。心を連れ出す声。風の如く緩急を付ける鼓、笛、地謡。絵巻物語を観る思いで、時に押し寄せる心地よい眠気もそのままに、しばし、心を漂わせました。観能体験で、あなたも室町時代へ出かけてみませんか。
次回は5月20日頃に😊)

働くこと。生きること。

 スナフキン(トーベ・ヤンソン作のムーミン童話の登場人物)を師と仰いでいることを公言して以来、身辺の有り様を、これまで以上にシンプルに、と心がけるようになりました。旅を日常として、旅のなかに生きたいと願うには、僕は、あまりにも多くのモノに囲まれていました。まずは、何より本棚の整理から!と思い立ち、ごっそり整理すると、中学生の頃に書いた、文集が見つかりました。「しながわ」と題されたその冊子は、品川区の教育委員会が作成した文集のようで、区内の中学校から、各校の生徒が寄稿しています。僕の作文が掲載された第21号は、「働く」がテーマでした。「働くということは、生きることだと思う」と書いた、当時(中学3年生)の僕の言葉に、はっとさせられました。自己実現ではなく、社会貢献でもなく、「生きること」と表現していた自分に、何か、今の自分へのエールをもらった思いがしたからです。働くとは、生きること。改めて胸に刻んで、明日を迎えようと思います。あなたにとって「働く」とは、なんですか?(次回は5月6日頃に😊)

 

KYOTOでTALK

生き方
葉桜やひとり静かに書をひらく・・・という句碑を見た記憶があります。
某誌のファッションページを担当していた頃、千駄ヶ谷駅からスタジオに向かう道すがらに、その句碑はありました。当時はそれほど深い共感を覚えませんでしたが、近頃は、すっかり同じ思いです。とはいえ、葉桜が過ぎれば、これまた心が躍る新緑の季節。初夏の京都を歩くと、そこかしこに青葉の光が満ち、もみじの多さに気付かされます。今年は、その頃に京都訪問となり、トークイベントの聞き役を務めることになりました。ユニットを組んでいる写真家の齊藤文護さんの個展会場で開催。ゲストは、編集者の斎藤りゅう哉さん。りゅう哉さんは、神楽坂での飲み仲間で、トークイベントの運営も共にしたことのある友人でもあるのですが、話題のベストセラーをいくつも手がけた名編集者でもあり、今回は改めてどんなお話が聞けるか、僕も楽しみです。(次回は4月22日頃に😊)

ありがとうをまた。

ホワイトデーの癒やし
先日、ソロイベント『言の葉ガーデンVol.2』を開催しました。当日は図らずも!?(いや、本当になんです(・・;))ホワイトデーでした。・・という訳で、お帰りの際に皆様にお礼の品を差し上げた次第。会場のchaabeeさんが、門前仲町にあるということで、下町らしくお煎餅を。「みなとや」さんの品です。地域のお煎餅店として営業する同店では、こんなメッセージ入りのお煎餅を販売していて、オリジナルのメッセージも入れられるとか。紹介してくれたお手伝いスタッフに感謝でした(^^♪。「ありがとう」良い言葉ですね、やっぱり。自分用の一枚をポリパリしながら、気持ちがほっこりしましたよ。(次回は4月08日頃に😊)

祈り

東日本大震災に捧ぐ
7年前のことを話そう/その日のことを話そう/すると命の話になって/つまり生きてる奇跡になって/亡くした人が遺した思いに/きっと気付くはずだから/今日という日は、命の日/深く大きな悲しみが/生きるバトンを預けた日/7年前のことを話そう/その日のことを話そう/涙の後は、励まし合って/前への一歩になるはずだから/明日へとつなげるそのために/歯を食いしばって、鼻歌だ!
次回は3月25日頃に😊)

こころの目。こころの道。

深澤製磁
思いもよらぬできごとが、想像もしないタイミングで、目の前に立ち昇り、前に進む勇気を与えてくれることがあります。2017年の1月。ユニットを組むメンバーで、西日本~九州ツアーに出かけました。ツアーに出発する前。このツアーが、我が身の役目を気付かせる機会になる・・・そんなメッセージに似た思いが、押し寄せました。各地で、展示会とライヴを行い、ツアーは無事に終わりました。それから数ヵ月後・・・佐賀県有田町・有田焼の窯元のご夫妻が、僕の詩作品に感銘を受けられ、有田焼の陶板に仕立て、ご家族の墓碑に飾られたことを知りました。僕の詩づくりの意味、その向かうべき道を教えられた思いでした。こころの目に導かれ、こころの道を進む覚悟をいただいた体験です。いつの日か、あなたのこころにも届くことを祈って。言葉を紡ぎ続けます。次回は3月11日頃に😊)

表現者という生き方。

ゴーギャンとタヒチ
ポール・ゴーギャン。19世紀の美の巨星。その名と作品は何度も目にしながら、彼のタヒチ時代を、詳しくは知りませんでした。鑑賞した映画の名は『ゴーギャン タヒチ、楽園の旅』。ゴーギャンは、自然にあふれた楽園で、創造の喜びに満ちた優雅な日々を過ごしていたわけではなかったのです。当時、すでにフランスの植民地として文明化が進むタヒチで、彼は生活に困窮しながら、創造への意欲を失わず、孤独と闘い、新たな愛と出合い、それを失い、苦闘しつつ、後世に傑作と評される作品の数々を生み出しました。何かを創造し、表現し、それを発信する者は、孤独と無理解を引き受けながら、休むことなく、自らの内なる畑を耕さなければならない。そうして生まれた作品こそが、いつの日か、誰かのこころに灯りをともすのだと教えられました。表現者とは、職業ではなく、生き方なのだと。次回は2月25日頃に😊)

美の遺伝子、その面影。

妹島和世さんの日立駅
取材で、初めて日立駅に降り立ちました。改札口の右手に広がる太平洋のパノラマに、目を奪われました。真新しくも美的なこの駅舎、聞けば、2011年の4月、直前に発生した東日本大震災を乗り越えて完成したとのこと。東側には、まるで海に張り出すようにご覧のカフェが設けられています。デザインを監修したのが、妹島和世さんと知り、重ねて感動。西沢立衛氏とSANAAを共同運営し、建築会のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞した、日本を代表する建築家です。かつて、SANAA設計の金沢21世紀美術館を訪ね、ガラス張りの円形建築に魅せられた旅の記憶が蘇りました。千住博美術館を訪れた際も、内外が溶け合うような感覚を覚えた後、西沢氏の設計と知り、驚いたものです。建築に宿ったつくり手の美の遺伝子は、同じ波動を放ち、由緒を知らぬ者を、その面影で引き寄せるのでしょうか。次回は2月11日頃に😊)

「大神神社」参拝記

大神神社
三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや・・・と万葉集に詠まれた三輪山を御神体とする「大神(おおみわ)神社」を、先日、参拝しました。日本最古の神社と伝えられています。山そのものが御神体とされ、古来より本殿は設けず、拝殿が使用されてきたといいます。狭井(さい)神社の右手から、三輪山に登拝しました。「三輪山参拝証」と記した襷をいただいて首にかけ、御幣を左右に振ってお祓いをした後、入山します。全行程、約4キロ。山内は飲食はもちろん、撮影も禁じられ、入山の心得が定められています。目に見えぬエネルギーをいただきました(画像は狭井神社の注連縄)。次回は1月28日頃に😊)

「自覚」を胸に。

カウントダウンコンサート
2017年の仕事納め&2018年の仕事始めは、両国国技館で迎えました。『さだまさしカウントダウンin国技館』からの『年の初めはさだまさし』(NHK)の取材を担当させていただきました。ステージ演出上の理由から空けた一部の座席を除き、ほぼ満席!ご来場のお客さまは、およそ9,000人とのこと。カウントダウンLIVEなるものに縁のなかった僕は、お客さまの熱気に、ただただ圧倒されるばかり。アーティストとともに年を越すカウントダウンは、ファンにとって格別のもの。また一つ、あらたな経験を重ねることができました。仕事を終えて睡眠をたっぷりと取り、迎えた正月恒例の書き初め。今年は「自覚」と書きました。次回は1月14日頃に😊)

感謝と感動。

さだまさしさんのコンサートツアー
エディトリアルスタッフとして参加した、さだまさしさんのコンサートツアーは、無事に千秋楽を迎えました。さださんご本人の体調不良や、台風被害などで、延期や中止などの会場もありましたが、多くのお客さまに支えられ、「たくさんのしあわせ」と題したツアーは、文字通り、たくさんのしあわせをお届けし、お客さまと共有したツアーになったと感じました。本年は、ツアーパンフレットの作成に加え、ファンクラブ会報誌の記事などでもお手伝いする機会をいただきました。感謝とともに、仕事を通じて得た感動を、自らの創作活動にも活かしていきたいと思っています。次回は12月17日頃に😊)

座ればわかる

三井寺
三井寺を訪ねました。天台寺門宗総本山 園城寺。滋賀県大津にある古刹です。観音堂の左手にある坂道を登ると、高台の展望地があり、琵琶湖を一望できます。観音堂客殿で、久方ぶりに座禅体験をしました。姿勢は半跏趺坐(はんかふざ)。右足だけを重ねる座り方です。鼻から息をゆっくりと吸い、口からゆっくりと吐く。心を調え、呼吸に集中しながら、ただ座る。確かにこの場所にいる、この場所に生きている、その事実を噛み締めながら、ただ座る。最中に感じた激しい風音は、後に通り雨だったと知りました。見上げると、紅の向こうに青と翼。次回は12月03日頃に😊)

よわねこの「お印」。

おしるし
僕は弱虫だから、このまま進んで良いのでしょうか?と、ちょいちょいご意見を伺ってしまいます。「大丈夫」の答えが欲しくて、天に向かって、お印を求めてしまいます。すると、答えが返ってくるのです。たとえば、こんな(画像のような)光となって、あるいは誰かの不意の言葉となって、思いもよらぬ新たな出会いとなって。こじつけや思い込みと笑われるかもしれないけれど、僕には腑に落ちる「形」として、「お印」が目の前に現れるのです。その度に僕は、感謝の気持ちを胸に浮かべ、それから、「僕は弱虫なので、またお願いの折は、どうかお印をお示しください」と天に発するのです。宗教心とは異なるけれど、太陽や空や風や雲、月や山や海や川、そんなこの身を包む自然界に、僕は導かれていると感じています。あなたも天に祈ってみませんか。思わぬお印を受け取れるかも・・・です。次回は11月19日頃に😊)

あさの あつこさんに感謝。

あさのあつこさん
先日、作家のあさの あつこさんにインタビューする機会を得ました。代表作「バッテリー」シリーズで、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞等を受賞。児童文学から一般書まで幅広く手がける人気作家さんです。インタビューの具体的な内容は、取材の制約上、ご紹介できず残念ですが、「生への肯定」という言葉に話題が及んだ瞬間は、僕が自らの表現活動で掲げているテーマ(無条件の自己肯定感)への共感をいただいたような思いがして、驚きとともに胸に迫りました。あっという間の40分でした。あさのさんのお言葉を通じて、「迷わず進め!」と天から励ましをいただいたような思いでした。画像は、先日の書道教室で仕上げた、課題です(^_^;)。拙作ながら、今後の上達への誓いとして・・・。言葉はオリジナルではありません。字のお手本はなく、気持ちのままに自己流書体で書きました。いつの日か、自分の書体を体得して、詩作品に活かせることを目標に、牛歩の如く、前進しています。(次回は11月05日頃に😊)

よわねこのバイブル、です。

食べない、死なない、争わない
『食べない、死なない、争わない』(稲葉耶季著:マキノ出版)は、昨年逝去した父の導きで、出合った一冊です。僕にとって、稲葉さんの言葉は、知性に満ち、科学的にも宗教観的にも、腑に落ちるものばかりでした。僕は、父を見舞い、彼の病状と治療の様子を見守りながら、「生き方(=死に方=この世との別れ方)」を一層深く考えるようになりました。どのような人生哲学を習得すれば、死への不安から解かれ、穏やかに、恐れずに、生を全うできる(=死を前向きに捉えることができる)のか。僕は、詩を書くという行為を通じて、そうした疑問に対し、自分なりの回答を手にしていましたが、その姿は、まだ朧げなものでした。僕は父を通じて、より身近に死を感じ、前述の疑問に対する回答を追求することで、本書と出合いました。そこで得た言葉は、僕の朧げな回答に漂う霧を払ってくれました。授かった肉体を大切にしながら、あらゆる存在に感謝し、この世を生きる意味を噛み締め、次の世への思いを馳せ、「今」というこの瞬間を精一杯生きたいと思います。フォトは、伏見稲荷大社の一景です。 (次回は10月22日頃に😊)

たくさんのしあわせ

たくさんのしあわせ
中学・高校の思春期。僕の毎日は、さだまさしさんの音楽とともにありました。アルバム、ラジオ番組の視聴はもちろんのこと、フォークギターを手に曲をコピーしては、弾き語っていました。20代の頃、コンサートプログラムのお手伝いの機会を得て、夢のような体験をさせていただきました。時を経て、昨年から、コンサートプログラムのクリエイティブ・ディレクター役を仰せつかり、いただいたご縁に感謝するばかりです。9月6日、ツアータイトルと同名のNEWアルバムが発売されました。担当したロングインタビューで、その思いに触れました。平和を願い、しあわせを祈る、さださんの等身大の楽曲が揃う新譜です。ぜひ、ご視聴くださいませ。(次回は10月8日頃に😊)

京都慕情。

京都御所の紅葉
「人は帰るために旅に出る」何処かで、そう読んだことがあります。なるほどと思いながら、同じ旅先を何度も訪ね、縁が生まれ、大好きな場所や人や、つまり記憶が増えていくと、その地への旅に限っては、「変わるための旅」になる気がします。自分のなかの新しいジブン、或いは、眠っていたジブンを見つけ、訪ねる度に、変わっていくのを感じるのです。あの大路、それから路地、あの社、あの庭、あのせせらぎ、あのお店。其処此処に、鮮やかな記憶を上書きしながら、僕を変えてくれる町。そんな特別な旅先を持てたことに、切ないけれど、感謝しています。
次回は9月24日頃に😊)

ノルウェイの森。

ノルウェイの森

よわねこ日記/昨日、仕事つながりで訪ねた「砥峰高原」。不思議な空気を感じた景色でした。惹かれるままに記録(写メ)に残しました。敷地の端に建つ展望台を備えた施設を訪ねてみると、村上春樹氏原作の映画「ノルウェイの森」のロケ地と知り、妙に納得した次第です。土地に根付いた「氣」は、きっと、初めて眺めた瞬間にも、何かを放つものなんだなぁと感じました。明日も皆さんにとって、穏やかな1日でありますように。 necoya (次回の更新は9月10日頃に(^_^;))

高校生ボランティア・アワード!!

さだまさしさんのイベント
8月9日-10日と、さいたまスーパーアリーナ(コミュニティアリーナ)で開催された、全国から集まった高校生たちのボランティア活動の顕彰プロジェクト、『高校生ボランティア・アワード2017』に行って来ました(^^♪。主催者は、先日、内閣府より認可を受け、公益財団法人となった「風に立つライオン基金」。さだまさしさんが創立者の社会支援団体です。取材担当役を担いながら、高校生たちの展示ブースを見学しました。手話や防災、環境保護から町起こしまで、活動の多様さに驚きました。北海道から沖縄まで、日本全国の高校に、利他の精神で活動するボランティアの広がりがあることを知り、日本の未来への希望の芽を見た思いでした。参加高校生全員を招待したアリーナでのチャリティコンサートも、大盛り上がり(^^♪。僕も信じる道を(ゆるゆるですが)進んで行かねばと元気をいただききました。(次回は8月27日頃に😊)

イメージソング 『私を想う時』

藤香想のイメージソング
一昨年の9月。雨の日の散歩の途中で、小さな看板を見つけ、緑道を辿り、そのお店に出会いました。導かれたような出会いでした。お店の名は「集う家 カフェ藤香想」。思わぬ流れで、イメージソングをプレゼントすることになり、昨年2月、お店で出会ったヒロくんと完成させた曲が「私を想う時」。緑に包まれた集う家が迎える、あなたへの応援歌です。こころに届いたら幸せです。リンク先:  試聴はこちらをクリックください。
詞:古屋利幸、曲・編曲・歌:中村ヒロ、サポートギター:Yohei、写真:5ai  (次回は8月13日頃に😊)

コナフキン宣言!?

スナフキンに憧れて

僕はスナフキンを人生の師と仰いでいます。トーベ・ヤンソンが生み出した、あのスナフキンです。砂(スナ)には至らぬ粉(コナ)の身ということで、コナフキンを名乗り、ソロ活動に臨もうと思った次第です。こんな帽子も手に入れました。あなたにとって、人生の師とはどのような方ですか。その背中を追う道が、明日への道標かも。。。(次回は30日頃に(^^♪)

こころに革命を。

禅の言葉

フランスで禅を広めた弟子丸泰仙氏は、「こころに革命を」と説いていたと聞きました。常識や世間体を超えて、自分のこころに革命を起こす。なんだか勇ましい表現に聞こえるけれど、生きているという能動的な生から、生かされているという受動的な生への意識転換は、西欧の人に衝撃と救いを与えたに違いない、なんて思ったりするのです。今こそ、こころに革命を、ですね(^^♪。

相棒加入(^^♪

マーチンギター

隔週更新を目標にスタートした、よわねこ通信。記念すべき第一報は、新たな\相棒のご紹介。コナフキン活動の本格指導に向けて、迎えました。腕の中にすっぽり収まるミニサイズ。デビューはいつかな。軽いけれど、良い音出しますよ~!皆さまどうぞ、ご贔屓に。。。necoya