2018/12/20
言葉遣いの身ではありますが、言葉は決して万能ではないと実感します。某和尚曰く「口は嘘をつくためにある」とか。ならば、そこから発せられる言葉は、信用ならない心の支配者かもしれません。日本には古来より、言霊という表現があります。言葉に霊が宿るという考え方です。呪力によって、言葉は、ときに私たちを支配し、心を曇らせもするのではないでしょうか。スマホから手を離し、呼吸に集中してみませんか。しばし言葉を封印し、無言の時間を過ごしてみませんか。そのひとときは、心のもやを晴らし、胸の内の声に気づく体験になるかもしれません。目を閉じて、光や音を全身で受け止め、口にする食物を全身で感じてみる・・・その変化をお試しください。 (2019年からは登録制のメルマガでお届けいたします😊)
2018/12/12
写真家・齊藤文護氏の写真展『無器』の会場で開かれたギャラリーライブに出演いたしました。同展の案内状では、「とらわれのない平安の世界がうまれますように・・・」とメッセージが添えられていました。作品から感じたキーワード「宇宙」をテーマに、5篇のオリジナル詩を朗読しました。ギターの旋律と、宇宙探査機ボイジャーが記録した電磁気を音波に変換した宇宙の音とともに。宇宙的な視座で考えると、この世も過程に過ぎないのだと思えてなりません。私たちは、知らず知らずのうちに、すべてを人間の範疇で考えてしまいがちです。視点を変えれば、地震や噴火の災害も、地球という星のエネルギー放出です。列島の被災地の復興を祈りつつ、「共生」という言葉の意味を改めて深く考えました。(次回は最終号/12月19日頃に😊)
2018/11/28
すっかり週遅れの掲載となり、お恥ずかしい限りです。神戸に取材に行っておりました。現地で寒風に吹かれたせいか、帰宅後、やや熱っぽく、数日、だらりとしてしまいました。取材の帰途、京都で途中下車をして、束の間の散策を楽しみました。大賑わいの古刹を避け、墓地で色づく楓を眺めました。その目の前の塀越しに見えた紅に導かれ、隣接した寺を訪ねてみると、仏さまが鎮座するお庭で見事な紅葉を拝むことができました。ひっそりとした静けさのなかで、陽光を浴びて輝く葉は、新緑のそれとは異なり、何ともいえぬ寂しさを漂わせていました。時間というかたちなきものの足音は、色や風に姿を変えて、すべてはうたかた消えて儚いこの世の夢と、この身に歌ってくれているようでした。(次回は12月05日頃に😊)
2018/11/12
有難いお誘いを受け、大竹しのぶさん主演の「ピアフ」観劇の機会を得ました。ところは日比谷、シアタークリエ。エディット・ピアフは、フランスが生み、フランスが最も愛したシャンソンの女王。売春に殺人容疑、交通事故、麻薬中毒に男性遍歴。その人生は激烈でした。「私はまもなく死ぬでしょう。」の言葉ではじまる自伝(『わが愛の讃歌』エディット・ピアフ自伝:中井多津夫訳/晶文社)を読んだのは、1995年の夏でした。12年後の2007年・秋。映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』が公開されました。主演のマリオン・コティヤールは、同作で第80回アカデミー賞の主演女優賞を獲得。壮絶なピアフの人生を演じきった彼女の圧巻の演技が、今も忘れられません。時を経て2018年・秋。目の前で観た、大竹さんのピアフは、生きていました。身勝手で寂しがり屋で、チャーミングで下品な女。そしてひとたび歌えば、その声は、聴く者の心を鷲掴みにし、背中に羽根をくれるのです。女優というのは、かくも深く恐ろしく、そして偉大な職業なのかと思い知りながら、ピアフの愛に魅せられた3時間でした。(次回は11月21日頃に😊)
2018/10/26
「続き」ものとしたにもかかわらず、2日遅れてしまいました。ごめんなさい。心の不安が『古事記物語』を読んで、すっかり晴れたその理由は・・・というくだりでした。前回ご紹介したとおり、『古事記物語』は、鈴木三重吉が『古事記』を児童向けに編集したものです。『女神の死』に始まり、『うし飼、うま飼』まで19の章に分かれています。最も驚かされたのは、神々の行動でした。意地悪はもとより、裏切りや、嫉み妬みはあたりまえ、兄弟すらも騙し合い、やたらに殺し合うのです。「八咫烏」の章では、「殺」という字が9箇所も出てきました。自分勝手な神話イメージを膨らませていた僕は、あまりの殺戮ぶりに驚愕しつつ、途中からなんだか可笑しくなってしまった次第。スケールの大きな世界で展開される予想外の物語に、なんだか励まされた気がしたのでした。神様ですらこうなのだから、小さな自分は迷って転んであたりまえ、とでもいうような。「愚読録」故、解釈不足はどうかお許しを(とはいえ、児童向けを読んだのですが・・・)。ぜひ1度、お読みになってみませんか。思わぬ発見(励まし)があるかも、です。(次回は11月07日頃に😊)
2018/10/13
先日、千 玄室氏(裏千家 第15代家元)の講演を拝聴しました。日本文化に触れたお話のなかで、「ぜひ、古事記をお読みになってみてください」と語られ、恥ずかしながら未読だった僕は、今更ながら手に取った次第です。とはいうものの、はて、数ある編集・出版物のなかで、どれを選んだらよいものかと思案していました。そこで見つけたのが、鈴木三重吉氏が子ども向けに編集した『古事記物語』です。三重吉は、児童雑誌『赤い鳥』を創刊した児童文化運動の父と呼ばれる小説家。『赤い鳥』には、芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、谷崎潤一郎など錚々たる作家たちが寄稿したといいます。今春、偶然にも、赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡(東京都豊島区)を訪ねていた僕は(3月11日のブログの画像はそこで撮影したものです)、なんだか不思議な縁を感じ、『古事記物語』を手にしました。読み進めるうちに、僕の心の不安はすっかり晴れていきました。その理由は次回に・・・。(次回は10月24日頃に😊)
2018/09/27
何者かになりたくて、心はずいぶん苦しんでいたりします。何気ない時間を見過ごして、特別な時間を待ち焦がれていたりします。今日の空を眺めながら、曇りのあとに青がのぞく空を認めながら、この身などおかまいなしに、世界が動いている気がします。そんなときは、いのちが少し遠ざかっているのかもしれません。何者でもない自分を受け入れると、心はずいぶん軽くなる気がします。世界は相変わらず、競って比べて、主張して、奪い合うばかりだけれど。達磨から数えて6代目、禅宗 中興の祖となった六祖 慧能曰く「知恵や悟りに必要な物などない。きれいな鏡も台もいらない。本来無一物だ。塵や埃も何一つない」ーーそんなメモ書きを読み返しながら、今日という日の無事に手を合わせました。(次回は10月10日頃に😊)
2018/09/13
この世は夢だと、どこかで誰かが言っていました。ならば、彼の地の悲しみも、いつかは醒めると言うのでしょうか。天変地異には容赦なく、因果は無縁でございます。あるのは地球という星の、呼吸のようなあらぶる熱の、放出ばかりでございます。ふわふわとした希望をばらまく、ポジティブ論ではたちゆきませぬ。あるがままを受け入れて、悲しみの肩に寄り添って、涙をそっと分かち合う、そんな時間を重ねつつ、ゆるゆる進むばかりです。彼の地の涙を想像し、我が身の涙に置き換えて、すぐ目の前のその人と、過ごす時間も奇跡と気づき、天を仰いでつつましく、過ごすばかりでございます。願わくは、そんな思いを交わし合う、そんな気持ちを語り合う、その輪といつか合えますように。喜びは噛み締めて、楽しみは持ち寄って、悲しみは分かち合う。そんな輪に巡り合えますように。この世は夢だと、どこかで誰かが言っていました。ならば、この身の不安とて、いつかは安らぐはずでしょう。宇宙という名の広大な、世界に還っていく日には。(次回は9月26日頃に😊)
2018/09/02
4日遅れのUPとなってしまいました。暦は、もう9月。夜には虫の音が聞こえるようになりました。今年は、どんな夏を過ごされましたか。僕はといえば、ささやかな挑戦を続けていました。深く薄暗い森を、一歩一歩、足元を確かめながら進んでいるような時間でした。空は、晴れたり、曇ったり・・・。驟雨に遭って、木陰でじっと雨宿りしたり。誰の足跡もない道を進むのは心細いけれど、少しずつ気持ちが慣れてくると、案外、自分には合っているかも、なんて思ったりもして。そんな中、8月21日・22日の両日は、東京国際フォーラムで開かれた、『高校生ボランティアアワード2018』を訪ねてきました。昨年もブログで紹介したイベントです。さだまさしさんが大会委員長を務め、ボランティアに取り組む全国の高校生たちが集う、プレゼン発表大会です。身近な清掃活動や地域の防災活動、伝統文化を活用した地域貢献、自然環境の保全、福祉、国際貢献など。昨年にも増して、テーマは多彩でした。取材担当として、各校のブースを訪ね、話を聴きながら、我が身の高校時代をふと、思い出しました。ボランティア活動とは縁がなかったけれど、こんなふうに、熱っぽかったなぁ・・と。高校生たちの、それぞれに抱えているであろう山谷を想像しながら、あの頃の自分に背中を押された思いがしました。明日もどうかお元気で。(次回は9月12日頃に😊)
2018/08/15
先日、門前仲町でトークセッションを開催しました。「いきるのヒント」と題して。編集者の斎藤さんとの二人会です。斎藤さんのおかげで、無事に終えることができ、ご参加いただいた方には感謝するばかりです。当日の準備を進めていくなかで、作家・五木寛之さんの著書(『生きるヒント』/文化出版局)に出会い、深い感銘を受けました(タイトルもイベントと酷似していて驚きでした)。そのなかで五木さんは、人生に希望はあるのか? という問いに、「ぼくはやっぱり、ないと思います」(原文表記)と答えています。そこに「死」があるからです。けれど、死に想いを巡らせ、有限の命や人生を感じることで、人は謙虚になり、生きることは尊く、すべての人は自分を肯定できる・・と(私的な解釈入りですが)僕は読み取り、すっかり追い風をいただいた思いがしました。カフカの名言を集めた本書も、嬉しい出会いでした。カフカは、20世紀最大の文豪といわれる作家ですが、生前は不遇でした。生き方を含め、遺された言葉のあまりのネガティブさに、思わず吹き出してしまいます。とはいえ、その底流にある心境や思考は、実に共鳴・共感することが多く、わが身のネガティブさを知った次第。心に言い聞かせている「無条件の自己肯定」は、隠すように抱えている「無条件の自己否定」と裏腹なのだと、自覚しました。励ましよりも寄り添いを胸に精進します。(次回は8月29日頃に😊)

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